襤褸まとう忠狼
Work by もっさん
「調査から帰ってきたばっかりなのに、また呼び出しなんて……。フェデルタ教官も人使いが荒いですね」
ルカの横から声をかけてきた後輩は、口を三角にしながら本棚へ分厚い一冊を戻した。
不満を漏らしながらも彼は目録とにらめっこしつつ、今日の講義で使用された文献類を間違いがないよう慎重に隙間へと納めていく。どうも後輩は、本の山を前に一人残されることよりも、教官がルカを使役すること自体に不服なようだった。
「今月だけで三回も呼び出しをくらってるじゃないですか。……全然休めてないですよね。まだマーレ村の残務処理があるんです?」
今しがた自身への言づけを済ませた学生が書庫を退室するのを確認しつつ、ルカは抱えていた数冊の本を手早く棚へ押し込んだ。
「ああ、現地での実働はそう長くなかったから、書類作成に不足があったまま撤退せざるをえなかったんだ。まだまだ提出しなきゃいけない調査書は沢山ある」
ルカは傍につけていた台車に積んである本の、その背表紙に付された識別番号にざっと目を通した。
背丈の低い後輩の手が届きそうにない、上段が定位置のものだけを拾い上げると手際よく差し込んでいく。
「それに、俺もあんな変則的な任務に同行するのは初めてだったから、まとめ方がおぼつかなくてな。軍へ提出する前に何度も添削を受けなきゃいけない。むしろこちらが教官のお手間を増やしているんだ」
「そうなんですか?あんなに丁寧にノートをまとめる先輩でも、そんなことがあるんですね」
講義での勘所を押さえるのとは訳が違うからな、とルカは気まずい心地に蓋をするように曖昧に笑ってみせた。
ルカがマーレ村で家族を亡くしたことを知る学生は、今のところジトレ以外にはいない。
尾ひれ付きの噂は少しずつ帝都にも波及し始めているため、いずれどこからか事情は知れ渡るものかと思う。しかし、だからといって自分から口を開く気にもなれなかったのだ。
出来る限りいつも通りの空気の中にいたい。そんな気持ちがルカの口を重くしていた。
「悪いが、この後のことは任せてもいいか?」
「はい!片しておきますので、いってらっしゃいませ!」
下段の方でしゃがみこんでいる後輩へ声をかければ、人懐っこい彼はいつものように元気に応答してくれた。積んであった山をそっくり引き取った後輩は、その場を後にしようとするルカへにこやかに腕を振って見送ってくれる。
ルカは出入り口で軽く手を振りつつ、緩く笑みを返して退室した。
(空元気も随分と板についてきたな)
人知れず自嘲し、書庫の両開き戸をくぐって回廊へ進み出れば、晩秋の冷たい外気が頬に触れた。
遠くの方ではちょうど晩鐘が鳴っている。おおかたの学生は宿舎に戻る頃合いだ。周囲に人気はない。
一人、硬質な靴音を反響させながら歩けば、張り付けていた表情は徐々に薄まり、少しずつ口角が下がっていく。無表情を通り越して沈痛な面持ちになってしまうが、誰も見てない今なら構うまい。
ルカはフェデルタが自分を呼び出した要件について思考を巡らせた。
(昨日提出した書類に不備があったか……)
ルカにとって事務仕事は得意な方だ。数字に苦手意識がないうえ、地道な勉学で培ってきた言語化能力も他におくれをとったことはない。
にもかかわらず村から戻ってきてからというもの、逐次フェデルタに提出している調査書には、らしくもないミスを連発していた。
原因は言うまでもない。
(記載漏れ、綴り間違い、現場状況の取り違え……。何をやってるんだ俺は……)
自己嫌悪の波が押し寄せ、苦々しい思いからルカは顔を片手で覆った。思わず指の間から長い息が漏れる。
(合わせる顔がない)
家族は勿論のこと、それとなく自身を気にかけてくれている教官に対してもだ。
彼との付き合いは長い。正確にはフェデルタとルカが、というよりルカの父親の方が、だが。
そもそもフェデルタは父親と同郷であり、旧知の仲であったと聞いている。
父が母を伴いアルヴェリターレを出てからは一時、やりとりが途絶えていたようだが、フェデルタ側があらゆる伝手を使い、不便はないかと手紙を寄越したことから再び親交を深めたそうだ。
帝都で多忙な生活をする傍ら、時間をやりくりしてはマーレ村を訪れ、父好みの果実酒や肴を多く持ち込んでいたことからも、親睦の深さはよく知っているところだ。
ルカ達兄弟に対しても、田舎ではあまり手に取ることができない珍しい菓子や、装丁の凝った古今東西の児童書など、外の世界を知るきっかけを多く与えてくれた恩人にあたる。
教鞭をとる者として模範たらんと自身を強く律し、常に厳格な態度を崩さないフェデルタは、時として学生たちからは近寄りがたいとさえ評される。
しかし父と盃を傾ける時には、士官学校ではけっして見る事ができない、和らいだ表情をしているものだった。
談笑のさなか、小さく揺れるフェデルタの肩を思い出してルカは下唇を噛んだ。
フェデルタからしてもマーレ村の事件――旧友を前触れなく失ったことは心中穏やかではいられないはずだ。
しかし表面上、彼に動揺や感情の揺らぎは見られない。
『常に平静であれ。動揺は行動を鈍らせる』
教練の場で繰り返し授かった教えが記憶の底から掘り起こされる。
(教官は常々、ご自身が仰っていることを実践しているんだ。それにひきかえ俺は……)
回廊を抜け、別棟へと続くスロープをあがる。学生が使う建物とは異なり摩耗の少ない敷物が見えてくれば、間もなく教官たちの執務室の入っている区画だ。
ルカはゆるやかな坂の先、帝国軍直下を表すレリーフが施された扉を押し開けた。中に入ると少しばかり残っていた学生たちの喧騒も完全に遮断される。
一人でいる時の静けさは、良くも悪くも思索の波を打ち付けてくる。
(……教官に、これ以上の迷惑はかけたくないのに)
ここ最近のルカにとって一人でいる時間は、きまって大きな喪失と自己嫌悪を感じさせるものだった。自然と顔は下を向き、肩はすぼまる。
視線の先の敷物にはユノン教由来の神獣が踊り、流麗な植物文様が流れている。ここ最近、もう何度も往復してすっかり見慣れてしまったものだ。
道すがらそれらを辿っているうちに、ルカは自身が無意識に足元ばかりを見ていた事に、今更ながら気づき俄然、胸を反らした。
(……手直し箇所を聞いたら、いったん仮眠をとろう。少しはマシな頭になるだろう)
ひとしきり意気消沈と、気の持ち直しを図っている間に目的の場所にはついてしまっていた。
顔を上げれば品よく艶やかな扉が眼前にある。その濃い褐色の木材に掛けられた真鍮製のレリーフは、フェデルタの執務室の印だ。
直刀を咥える獅子が彫られているそれは、教導する者の中でも最高位にあることを意味する。
厳めしく牙をむく獅子を真正面に見つめながら、ルカは今一度、両足を揃え背筋を伸ばした。襟元も正し、きもち緩んでいた制服のネクタイを締めあげる。
そうして気合を入れなおすように短く息をつくと、無礼にならない程度に力を込めてノックをした。
「来たな」
促されるまでもなく執務机の前に進み出ると、単刀直入とばかりにフェデルタは口火を切った。
「ジトレから届け物がある。ベルソルツ、お前宛てだ」
「ジトレから、ですか……?」
思いがけず出てきた名前にオウム返ししてしまう。
ルカは帝都に引き上げてきたが、探索に秀でた能力をもつジトレは引き続き現地に残る隊にいたはずだ。その彼から何事か送られてきたと言われても、心当たりはない。
首をひねるルカを前に、フェデルタは引き出しから手のひらサイズの何かを取り出した。彼の両手に包まれたそれは樫の机の上にかつっとした、かすかな音と共に静かに置かれる。
どけられた手の下からは滑らかな光沢を放つ、桑の実色の布が顔を出した。
見覚えのあるそれはジトレのハンカチである。彼が親元から離れる際に持たされたというもので、どこへ行くにも必ずお守り代わりに持っていたものだ。
しかし、覚えのない様相でもあった。
(中に何か包んでいる?)
怪訝な表情をするルカをよそに、フェデルタは濃い紫色の布をそっと取り払った。
「お前の家の瓦礫から出てきたそうだ」
姿を現したものにルカは目を見張った。
「これが何か、知っているか?」
フェデルタの声は知識を問うてくるものではなく、こちらの認識を確認するような体のものだった。
艶やかに光を返す、長方形の形にカットされた濃紺の貴石。
本来あるはずだった台座やチェーンはないものの、間違いない。これは――
「実家で保管していたペンダントです。父がアルヴェリターレの生家から授かったものだと聞いています。成人の暁に長男である父が、本家ベルソルツ家の家宝であるこれを受け継いだと。なんでも、大変貴重な鉱石を磨いて作ったものだとか……。その程度しか聞いていません」
本家ベルソルツ家は遥か昔から岩塩採掘で財を成す、アルヴェリターレでも五指に入るほどの名家だ。
製塩業による潤沢な資金を多くユノン教へ寄進していることから、爵位を授かっている。
祖業こそ岩塩採掘だが同時に鉱物資源も多く採掘しており、ペンダントトップにはめこまれた貴石も所有する鉱山から得たものだという。
その本家は父が出ていった後、叔父が家督を継いだと聞いている。もっとも、ルカは本家の者とは顔を合わせたことすらないため、先祖伝来であるこのペンダントの由縁もほとんど知らないが。
ルカがその旨を伝えるとフェデルタは納得がいったように軽く頷いた。
「やはりそうか。以前、アルバスタが私にも一度だけ触らせてくれたことがあったが、それきりだったからな……。お前に確認がとりたかった」
ルカの言葉を受け、顎をさするフェデルタは記憶の照合を済ませたようだった。
想定外の品に驚いたせいで説明もたどたどしかったが、答え合わせとしては十分だったらしい。
「それにしても、何故ジトレはこれがベルソルツ家のものだと分かったのか……。お前が話したのか?」
疑問を呈するフェデルタに首肯を返す。
「ペンダント自体、ジトレには直接見せたことはありませんが、意匠については過去に話したことがあります。おそらく掘り起こされた場所と相まって合点がいったのかと」
そう何度も話したわけではないのに、どうやらジトレは記憶の隅に置いてくれていたらしい。
そのうえ片時も離さずにいた、いっとう大事な品にわざわざ包んで送ってくれたのだ。職人である彼の父が丹念に染め上げた布を、彼の母が丁寧に刺繍してくれたというハンカチに。
布地に縫いつけられたイニシャルを見つめ言葉を詰まらせていると、フェデルタはペンダントの傍へ手のひらを寄せ、ルカの意識をそちらへ誘うような仕草をした。
「なるほど経緯は理解した。であれば、これは持っていけ」
「良いのですか……?」
反射的に訊き返すも、フェデルタからすればその反応は想定内だったようで、すぐさま言葉が続く。
「当然だ。本来の持ち主であるアルバスタ亡き今、順当にいけば長男であるお前が受け継ぐのが最も妥当だろう。事件現場からの奪取にあたらぬよう、必要な手続きはこちらで済ませておく。――お前に遺されたものだ。お前に受け継ぐ義務がある」
「――!」
言葉尻で声を落とし、ゆっくりと噛んで含めるようにして言うフェデルタに、ルカは弾かれたように顔を上げた。
そこにあるのは、一見すると常通り怠慢を許さぬ厳しい教官然とした表情だ。昔から見てきた面相であり、他者に考えを容易く悟らせない、深閑とした水面のような様でもある。
しかし今しがたかけられた言葉には、彼の抱いている感情が隠すことなく込められているような気がした。
じんわりとしたものが胸奥から湧きたつのを感じ、ルカは何と言葉を返せばいいのか思案した。
しかし結局、気の利いた言葉は見つからず、口をついて出たのはごく単純なものだった。
「……ありがとうございます。本当に……」
しぼりだすように言った後、そっとペンダントを両手に包むと、フェデルタが僅かに目元を緩めたような気がした。
ルカが彼の言動から表に見えている以上のものを感じ取っているのと同じように、フェデルタもきっと、今のひとことに込められた幾重もの感情をくみ取ってくれたのだろう。
(そういえば、ここ最近は謝ることばかりで改めてお礼を言えていなかったな……)
思い返してみれば村から帰還してからこちら、謝罪と共に頭を下げる事は多かったが、面と向かって感謝の言葉を口にはしていなかった。
先だっての推挙の件ですら、開口一番に伝えたのは「ご諒察痛み入ります」だ。今更ながら示すべき礼を表していなかったと思い至る。
「では、要件は以上だ。夕食時に悪かった」
フェデルタが懐中時計を確認しつつ、端的に場の終わりを告げてくる。彼の背後にある窓越しの風景は、既にとっぷりと日が暮れていた。
上役の貴重な時間をこれ以上、個人的な事情に割いてもらうのもしのびない。
重ねて謝辞を述べ、すぐさま下がろうとしたルカだったが、そこで何の気なしに思い出したことをそのまま口にしてみた。
「ところで昨日提出した書類に不備はありませんでしたか?」
「……あぁ」
ほんの一瞬、固まった後フェデルタは眉間を揉むと、机上の手文庫から覚え書きと書類の束を差し出してきた。
「ペンダントを渡すことばかり考えていた」
自身でも驚いているのか、やや戸惑った調子の教官にルカは目を丸くした。そのまま正面から見合った数秒後、ルカだけ泣き笑いの表情になってしまう。
(本当に、情け深い人だ)
朴訥とした言葉が肌から沁みこみ、こわばっていた心根がきしきしと音を立てた。くすぐったいような、切ないような感覚だ。
「……修正箇所を伺いたく思います」
言いながらルカは、こみ上げてくる感情を覆い隠すように紙束で向かいからの視線をふさいだ。
こちらの繕おうとする意図を汲んでくれたのか、フェデルタは紙の向こうでいつもと変わらぬ口調で指示をだし始める。
手中にあるペンダントにはすっかり体温が移り、温みに満ちていた。
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