襤褸まとう忠狼
Work by もっさん
足元から立ちのぼってくる、つんと酸味を伴った土埃。
喉にはりつく煤。
ぬるくつきまとう鈍い色をした塵埃。
全身を叱咤し朽ちた残骸をどけても、出てくるのは焼損した亡骸ばかり。
横たえた誰かを袋に包む。
人の形を保っていられたら御の字だ。
今しがた持ち上げたこれは、足だろうか。それとも。
堪らずこみ上げてきたものをぶちまける。
吐いてもいいが手は止めるな、と大喝がとんだ。
「――っ!」
一気に覚醒すれば、そこにはもう惨澹たる現場はなかった。
カーテンの間隙をぬってさし込む月明りと、それに照らされる作り付けの棚。
その最上段に置いてある自身の名が刻まれた盾をみとめ、ようやくルカはそこが見慣れた自室であることを認識した。
(夢……、あの時の……)
荒い息を整えながら、ぐったりと半身を起こす。
にわかに転換した光景にまだ頭がついてきていないのか、くらりとした感覚がする。
早鐘を打つ胸をなだめるように手で押さえれば、晩秋の夜半だというのに寝間着の下にはじっとりと汗をかいていることに気が付いた。
寝台の上に膝を抱えるようにして俯き、ルカは長嘆息する。同室のジトレが村からまだ帰ってきていないタイミングで助かった。
(あと何回、これを繰り返すはめになるんだろうな……)
日々の訓練に差し支えないよう、毎日無理やりにでも床にはついている。意識を手放せず夜を明かすことも多いが、細切れながらも浅い睡眠を得られる日は多い。
しかしそうした眠りのさなかに浮かび上がる光景は、いつも同じだ。
砕けた瓦礫の重畳たる様と、累々と横たわる人だったもの。
体力を保つため口へ押し込んだ糧食を全部吐き戻しても、なおも体の奥からせりあがってくる液体。
舌の先にあの不愉快極まりない味が戻ってきたような気がして、ルカは口直しを求め寝台を降りた。
勝手が分かる部屋の中では手燭なしでも問題ない。いつものように隅の卓には水差しが置いてあるはずだ。
そうして気だるい体を引きずっていくと見慣れた調度品の中にひとつだけ、昨日までには無かったものがあることに気が付いた。
「あ……」
思わず掠れた声がもれる。
ルカの視線が吸い込まれていったのは、使い込まれたビューローの上にあるペンダントだった。
受け取ったはいいが簡素な自室の中で保管場所に困り、とりあえず丁寧に据え置いていたのだ。
(次の休暇に小箱でも買ってくるか……)
最低限の設えしかない部屋に飾り棚などの気の利いたものはない。備え付けの本棚には教本が詰められており、寝台脇のチェストにすら自学に使った書き留めが束となっている。
インク瓶や書きかけの書簡の入った引き出しに裸でしまっておくのも忍びないと思い、熟考の末に一番マシであろう場所に置くことにしたのだ。
(実家では壁に飾っていたっけか)
大事なものだからと居間の壁の、父親の目線よりも少し高い場所に掛けられていたが、今のルカには同じようにする気は起きない。
(……いったんは、奥まったところにしまっておくか)
べつに壁に掛けておいたとして、同室のジトレや他の者が不埒をはたらくとは微塵も思っていない。
けっして警戒心からしまい込んでおこうというつもりではない。
ただ、大事にしたいだけだ。
家が丸ごと焼けた今となっては、家宝のペンダントは家族との繋がりを思い出す唯一のよすが。
そう考えると、自然と人目のつかない場所に抱え込んでおきたい気持ちになったのだ。
(全部なくしたと思ってた。でも、違った。遺ってたんだ。――ひとつだけ)
ひとつしかなかったと見るか。ひとつはあると見るか。
一瞬だけ考えるも、答えは出せなかった。今の自分に哲学に浸る余裕などない。
(確かなのは俺がひとり残されたことだけだ)
木製のカップの、中ほどまで注いだ水をルカはゆっくりと飲み干した。
喉奥に流れていく水は室温を反映して冷え切っており、僅かに留まっていた眠気をとばしてしまうが、この際そんなことは些末なことだった。
できればこのまま一緒に悪夢の残滓も押し流してくれないだろうかと。カップのふちから湿った唇を離し、もやりとした頭をもたげたルカはぼんやりと天井を仰いだ。
全身を満たす怒涛の疲労感にほとほと嫌気がさす。上向いたまま後ろ頭の方へ、上半身ごと弓なりに反ってしまいそうなほどだった。
(……俺がこれから、なすべきことは何だ?)
忙殺されている時には沈んでいた自問が、しじまの中に顔をだす。
それは少し前までは明確だったことだ。
父の影響でいずれは強健な身体を活かし、国に奉ずる気持ちがあった。そこへフェデルタ教官が士官学校という選択肢を示してくれた。ゆえに軍人を志した。
そこに偽りなどない。自分の意思でこの道を選んだと誓える。
しかし、それだけの気持ちで歩んできた道でもない。
(家族の――皆の喜ぶ顔が見たかった。見ていたかった)
思索の海に潜り、深い底まで照らして見れば極めて単純な童心が在る。単純であるがゆえに純度も高く、揺らぐことのない強固な想いだ。
身の振り方を考える際には、いつだってこれを指針にしてきた。ルカの人生における水先案内にあたる。
しかし今となってそれは進路を示すことなく沈黙しきっている。
代わりに横から流れ込んでくるのは、ひと掻き、またひと掻きと柔らかな土を遺体袋にかぶせていく記憶だった。
激しい流れによって巻き上がったそれに、水底の道標はすっかり埋まってしまっていた。
(また、あの顔が見たい)
あの人たちの為になら、この身を賭してでも前に進めると思っていたのに。
(また、あの声が聞きたい)
叶わないと分かり切っている願いが、願うだけ無駄だと分かっている祈りが、滔々と心根から湧いてくる。
大きく渦巻く感情は高波となり、しまいにはルカの思考を完全に座礁させてしまっていた。
(『また』なんてない。『次』なんてものはない。そんなことは分かっている)
ふっ、と空虚な息をついたルカは空になったカップを戻し、ふらふらとビューローへと歩み寄った。
行きがけに何もないところでつんのめり、反射的に机上に両手をつく。手のひらに、じんとした反動が返ってくるが、それよりも意識は見下ろす先にあるものに自然と集まった。
使い込まれた天板に座す、場違いな宝飾品。ルカはそれを何の気なしに、両手で慎重にすくいあげた。
ゆっくりと、ためつすがめつしてみれば自身の荒廃した精神とは裏腹に、トップの貴石が青白い月光を吸収して、秘めていた艶やかな色彩を露わにしているのが見てとれた。
透き通った先にある中心部には、海原のような紺碧がじんわりと濃淡滑らかに広がっている。
その粲々とした色合いに、在りし日の生まれ故郷を想起させられ、ルカは無意識にそれをゆるく指でなぞった。
(それでも、また手をとって、あの温もりをもう一度……)
幻想的な色合いに現実感が少しずつ遠のいていくと、思考は逃避に傾き始める。
次いで頭に反響したのは数時間前に言われた恩師の言葉だ。
「以前、アルバスタが言っていた。アルヴェリターレの古い伝承によれば、その鉱石は記憶をたくわえる性質を持つらしい、と。その石自身が見聞きしてきたことを悠久に記録し続け、触れていれば自分が生まれる前のことすら辿ることができるとか」
事務的なやり取りを締めた後、フェデルタは別れ際に珍しく世間話をし始めた。
「夢見の悪い時には、胸元に寄せて寝てみろ。睡眠時に見聞きすることは記憶の集積とも言う。悠久の記憶に触れていれば、悪夢も押し流せるかもしれん」
アルヴェリターレでは大事なものほど心臓に近いところに身に着けるのだ、と付け加えて。
それがおとぎ話だとは分かっている。隈を作っていた自分を労わるために言ってくれたのも、重々理解している。
しかし、見晴るかせども海の彼方に灯の一つも見当たらないのなら、手中に遺された唯一のものにすがるしかなかった。
どうかもう一度だけ、家族の穏やかな姿を見せてほしい。
祈るように両の手でペンダントを包みこんだルカの切実な願いは、あえなく挫かれることとなる。
浅い呼吸が寝息に移りかける頃、夢うつつの意識に投影されたのは剿絶の光景だった。
火炎の燃え盛る轟々とした音。爆ぜ砕け散る木材からこぼれる火花。
骨まで溶かされそうなほどの激しく逆巻く熱気。
あたりに響き渡る幾重もの絶叫。誰とも分からぬ悲鳴。言葉の体を成さない狂乱の声。
いつもよりも、ほんの少しだけ高い位置から見下ろす光景は、阿鼻叫喚そのものだった。
状況を理解しようとするより前に、鼻先をふわりと巻き上がった襤褸に視線が走る。
焦げちぎれたそれは母が作ったニードル編みのレースだ。家宝のペンダントを壁掛けする際、添え物もなく飾るのも何だから、と壁面との隙間に敷いていたものだ。
それが立ち昇る火柱に飲み込まれ、塵ひとつ残さず消え去ってしまったのを見て、ルカは絶句した。
――何だ、これは……?
しかし狼狽は一瞬だった。
炎の海の向こう側に横たわる人影がある。こちらに顔を向け、倒れ伏しているその人は……
――父さん!
考えるよりも先に声が出た。弾けるように腕を前へ、手を伸ばし、駆けだした。――そのはずだった。
しかし、もがけどもルカの身はいっかな動かない。まるで壁に貼り付けられたかのように、びくともしなかった。
ままならない自身に苛立ちながら見下ろせば、そこに己が肢体はなく、あるのは炎が這いずる木の壁面だった。
瞬間、思考が帰結する。――ペンダントだ。
クソっ!と口を割って宛てのない罵倒がでた。ぎりぎりと頭蓋が軋むほどの歯ぎしりをする。
――何もできないのか?こんな、目の前で……!
混乱と焦燥の中、いてもたってもいられないというのに、ただ見ていることしかできない。まるで拷問のような状況だ。
誰がこんなものを見せてくれと願った。
――ふざけるな!クソっ、クソっ……!!
腹の底から、がなり立てたその時だった。
「う……ぐぅ……!」
猛火をまとった建材が倒壊する、みしみしとした騒音の狭間に、自分のものではない声がしてルカは勢いよく顔を上げた。
見れば、折れた柱の先で苦悶に満ちた表情を浮かべる父が、荒く息を乱して床をのたうち回っていた。
脂汗が噴き出す額に髪をまとわりつかせ、固く目をつむり、渋面を作りながら胸元をかきむしるようにして掴んでいる。
「うぅ、……くっ……!」
いびつになった口元から漏れ出る掠れた吐息は、不規則に途絶えつつあった。
もうそれだけで父の命が消えかかっていることなど本能でわかる。
たまらずルカはもう一度、父に呼びかけようとし、喉が熱気に焼かれるのを厭わず息を吸った。が、次いで出るはずの叫びは、喉奥の途中でわだかまることとなった。
不意にまたひとつ、声が聞こえたのだ。けざやかに。
『常に平静であれ』
全てを押し流したのは、そんな凛然とした声だった。
すんでのところで頭の隅から響いたそれは、ルカを恐慌の水際から一気に引き戻した。
すると今度はそれまで耳朶を打っていた狂乱の音が、まるで一枚壁を隔てた向こう側の事のように聞こえてくる。
――そうか、……そうだ。
すとん、と力が抜け落ちる。
――これは過去の記憶だ。過ぎ去ったことに干渉することはできない。
視線が下を向くと後ろ頭に別離の記憶がかすめていった。
柔らかな土で墓穴をふさいだ際、代わりに胸中に空いた吹き抜け。
風雨に削られることがないようにと深く刻んだ申し訳程度の墓標。
煤と土汚れのこびりついた手袋を握りしめた野営地への帰路。
そうだ、この手で目の前の人を埋めたのだ。そうして彼の、彼らの人生に終止符を打ったのは、他ならぬ自分だったじゃないか。
芋づる式に掘り起こした記憶の底は、ありありと厳然たる事実を突きつけてくる。
「終わったことにお前が出来ることは何もない」と。
――そうだとしても。
今となってルカの身を覆うのは、虚脱ではなかった。錯乱の千声のなか、誰よりも明瞭に聞こえた言葉がルカの背中を押した。
――俺のなすべきことは何だ。
答えのない自問ではなく、己を奮い立たせるため胸中に質す。
「ぐぅ……」
意を決したルカは最期を見届けるため、背けそうになる自身を尽きかけの根性で鼓舞し、前を注視した。
そうだ、自分は事情が微塵も分からないまま、家族を地中へ弔ったのだ。
帰舎した後「何も分からないことが分かった」などという不毛な書面を破り捨てたことを忘れたか。
置物のように横たわり、されるがままに土をかぶった家族の寝顔を忘れたことなど、ひと時だってなかったはずだ。
そうだ、彼らは二度と身を動かすことはない。
だからこれから先、何も事を成すことはない。
――だったら俺がやることは分かり切っている。
代わりに事を成すのだ。
――知るんだ。何が起こったのかを。
絶望の底から湧きたつ想いが、煤をかぶっていた指針を掘り起こす。
ルカは悲愴感を抑えつけると、ひゅうひゅうと細い呼吸で胸を上下させる父を必死に見据えた。重ねて、崩壊し火だるまとなった周囲にも隙なく注意を巡らせる。
どんなことでもいい。この混沌の渦中にあって、さらに常ならぬものを探しだすのだと神経を研ぎ澄ませる。
このペンダントを介した記憶の再生がどれほどの時間続くのかは分からない。しかし可能な限り、情報を持って帰らなければならない。
目覚めた後にどれだけ鮮明に覚えていられるか検討もつかないが、それでもだ。
くじけそうになる己を叱咤し息を詰めていく。ほどなくして父はだんだんと呻きすらなく、かろうじてくぐもった息をつないでいるだけとなっていった。
力なく僅かばかりの隙間をあける唇をルカは食い入るように見つめた。
「……、……」
いよいよ最後のひと呼吸かと思われたその時、天井から梁が焼け落ち、続いてルカの意識はにわかに振動した。
間髪入れず木材の折れ砕ける、けたたましい音が耳をつんざく。どうやら壁ごとペンダントが前のめりに放り出されたらしい。
まだ焼け残っていた床板とペンダントの額がぶつかり、カッっと金属質な音が立つ。ぐわんとした衝撃に震える視界が落ち着いた頃、あろうことか父の姿は見えなくなっていた。
――どこに落ちた!?
焦るルカだったが次の刹那には凍りついていた。
――誰か、いる。
ペンダント超しに覗く画角には戸口横の窓が映っている。そのガラスに外から顔を寄せる人物がいるのだ。
窓枠から見える背丈からいって年端もいかない子供だろう。
炎を照り返し怪しく光る青銀 の髪に、寒々しい氷河のような瞳。しかし顔の半分は不揃いに伸ばした前髪に隠れ、全容はつかめない。
身にまとうのは貧民のような粗末な衣であり重く、くすんだ血紅色に染まっている。
あまりに異様な出で立ちだが、何よりもルカをくぎ付けにしたのは、その面差しだった。
そのあどけない顔はこの紛乱下にあって眉一つ動かさない無をたたえていたのだ。
村中を巻き込む大火に、そこら中から数多の奇声や雄叫びがとび交う中で、我関せずといった風情。まともな神経を持ち合わせていれば、こうも無感動ではいられないはずだ。自若というにも限度がある。
ルカはまるで、その子供だけが違う世界の空間に立っているかのような錯覚さえ覚えた。背筋にひやりとした感覚が走る。
――あの子供は、いったい……
得体の知れない佇まいに本能的な恐怖心を掻き立てられていると、ゆるりと子供の首が動き始める。気だるそうにも見える仕草で家の中を窺う子供は、ある一か所で顔を向けたまま止まった。
こちらだ。
視線が、引き結ばれた。
凍てつく瞳に射貫かれ戦慄するルカのすぐ背後から、突如として父親の断末魔が上がった。
寝台から跳ね起きたルカは余韻に浸ることもなく、すぐさまビューローへと向かった。
机上のドロワーから紙束を取り出すと、真っさらな紙面へと見聞きした一切合切を殴り書いていく。
立ったまま前かがみになり、明け方のささやかな外光をたよりに仔細を次々、文と画に起こす。
今は椅子に腰かけるひと手間すら惜しい。
(記憶が遠のく前に一つでも形に……!)
乱雑にペン先をつっこんだインク瓶からは液がとび、力んだせいかペン軸がギシギシと悲鳴をあげるが、構わずルカは夢の情景を書き連ねていった。
火災の現場状況。村民の常軌を逸した叫び声。そして何より、父の今際の推移。
すぐ傍から不意に叩きつけられた絶叫を思い出すと、ルカはガツンと脳天を殴られたような衝撃を受けたが、沈んでいる暇はない。半ば自棄気味に気を引き立たせ手を動かすことに集中する。
一枚、また一枚と情報を細かく羅列し、埋め尽くしていく。
そうして自身の覚醒までの記録を書き終わった頃、ようやくルカは息をついて椅子を引き出した。腰をかけると途端に重い疲労感を自覚するが、反対に頭は中心から、きんと冴えているのも感じる。
無理な体勢でこわばっていた筋肉を緩め、ルカはまだ乾ききっていない文面をさらいながら状況の棚卸しを始めた。
不可解な箇所を今一度、確認しなければならない。
脳裏によぎったのは、いつかの言葉だった。
『これではまるで、住民たちが消火も避難もせず、黙って炎に焼かれるのを待ったも同然だ』
(違う)
記憶を反芻すれば、直ちに出てきたのは否定だった。
確かに貴石を通じて垣間見た光景では、父親は炎の海に飲まれていった。しかし逃げもせず、とは明らかに違う。
眉根を寄せ苦悶に満ちた表情のまま、瞼を降ろし続けていた父の姿を、ルカはありありと頭に描きなおした。
(――逃げられなかったんだ。何かに、苦しんで……)
苦痛に抗うかのように胸元をかき寄せる、痛ましいあの姿。人間、あるいは通常のイクスであれば体調の急変かと推測するところだが、父に限って言えば的外れだ。
(うちの一族は壮健。障りなく天寿を全うするイクス。風邪ひとつ、ひくことはない)
炎にあぶられたとしても些細な火傷すら負うことはない。充満する煙も視界こそ遮られてしまうが、それ以外はたいした問題にならない。灼熱を踏み越え、ただちに脱出できるはずだ。
(だったら父さんが倒れていた理由は?何をあんなに苦しんでいた……?)
熟考したが見当がつかない。しかし、やはり件の言を否定すること自体は変わらなかった。
ルカは組んだ両指の上に額を乗せ、綴った情報を俯瞰した。全体を見通しながら既存の知識を引き出していく。
(一族特有の頑丈すぎる体を害する方法が無いわけじゃない。――例えば飢餓。堅牢な体を持っているとはいえ、食事をとらなければ人並みに飢え死ぬ。……ただ、あの時の父さんの様子は、飢えに喘いでいたとはとても思えない。もっと別の要因が……)
深く物思いにふけると先刻までの狂騒が蘇ってくる。睡眠不足もたたってか、こめかみのあたりに鈍い痛みが走った。
しかし思考が途切れたのも束の間だ。
父の様子を探るだけで真相に行き当たらないのなら、他の情報と照らし合わせるまで。
ルカは鈍痛には軽く双眸を眇めるにとどめ、今度は違う書面を手にとって、まとめ書いた数頁を繰 る。
(外から叫び声こそ聞こえてはいたが、暴徒がいるような気配はなかった)
屋外から聞こえていたのは辺りを踏み荒らす蛮声や人を脅す怒号ではなく、他の住民たちの阿鼻叫喚だ。しかも、そのどれもが正気の沙汰とは思えない、まとまりのない叫声ばかり。
(助けを請う声もなければ命乞いをする声もなかった。ということは、やはり現地調査での結論通り狼藉者がいた訳ではない……?だとして、あれだけ大勢が狂ったように一斉に叫ぶだなんて、いったい……)
それどころか、火の海で身動きがとれなくなった末に救いを求める……そんな言葉ひとつ聞こえなかった。
あたり一面を覆っていたのは理性をうしなった獣のような大音声。あるいは血を吐くような金切声だ。
火災当時、あの村の住民全員がそろって気が触れていたと?
そんなのは天文学的な確率だ。到底ありえない。議論の余地すらない。
しかし――それはあくまで「全てが偶然起こった」と想定した場合の話だ。
思考を走らせるルカは固く組み結んでいた指をほどいて顔を上げた。
(誰かが意図的に事を仕組んだとしたら……)
軍が持て余し、放り投げた匙をルカは拾いあげた。
視線を上げた先にある、また別の書面をしかと手に持つ。まとめられた内容はルカが最も強く鮮やかに覚えているものだ。
(あの子供が、鍵を握っている)
発狂する人々に混じって唯一、動じず黙して佇んでいた人物。常ならぬ様相が氾濫する状況で、かえってそれは異様に映った。
なにより現地調査では辿れなかった存在でもある。目下のところ当たりをつけるとしたら、そこだろう。
(子供が見えたのは、ほんの数秒。情報が少なすぎて心許ないが、それでも……)
掘ったら新しい何かが出てくるはず。
火災や住民の発狂、その全てをあの子供ひとりに結び付けるには根拠が乏しいかもしれない。
しかし手持ちの証拠をたぐり寄せた先には、あの子供が立っているような気がする。
そんな直感が自身に宿っているのをルカは感じていた。何故か、と問われてもうまく言語化はできない。
が、しいて挙げるとしたら、よぎるのは記憶が途切れる直前に見たものだ。
(あの瞳……)
不意にかちあった視線は底知れず、どこまでも虚ろだった。背中まで杭を打つように貫くまなざしに思わず気を呑まれ、怖気立った。
あの瞬間がどうしても、記憶の髄にこびりついて離れない。
(俺の知見だけじゃ限界か。もっと他の人の手を――フェデルタ教官を頼ろう)
走り書きを清書し直すため机上を改めたルカは、また真っさらな一枚を取りだした。
「これを軍へ提出することは出来ない」
「……は」
思いがけない言葉を受け、ルカの口をついて出たのは呆然とした声だった。
紙束を手にわずかに眉根を寄せたフェデルタは、執務机の前で立ちすくむルカへ固い声で続ける。
「ここに書かれている情報はお前にしか確認できない事。客観的に立証できなければ確たる情報として提示はできない。お前が貴石の記憶だと主張することが、精神的な負荷が起因した、ありもしない幻覚だと断じられれば反論はできるのか?」
そこまで言われて初めて至極当たり前のことに気づく。己がこしらえた報告書には正確性を担保するものが一つもない。
(気だけが急いていて、最も重要な部分をおざなりにしていた……)
とんだ失態だ。ルカは迂闊な自身に対し衝動的に悪態をつきたくなった。しかし、だからといって引き下がる気にもなれない。
村から引きあげてからというもの、調査の任が解かれたルカの立場では、出来ることは限られていた。現地や引き上げ途中で作成しきれなかった調書類をしたためるのが精々で、真相究明への実働は既に帝国軍側の領分となっている。
そもそも学生を同行させるように指示が下ったのも、土地勘や探索能力に秀でた者を現地で一時的に、限られた範囲で稼働させるという条件付きのものだ。ルカは個人の裁量で動ける立場にはいない。
上層部が一件について手探りながらも調査にあたっている事は知っている。しかしそれなりの時間揉んでいるにも関わらず、何事か明らかにした様子もない。
いっこうに音沙汰がない状況はルカを執拗に急き立ててきた。その積み重なった焦燥感が今、理屈ではない部分を激しくかき立て、頭中をかけ巡っている。
(何か、何かないか……?)
進退窮まった脳内で活路を探している数秒、不意にあることがよぎる。「もともとペンダントは父が生家から持ち出したものだった」と。
そのとっかかりにルカは瞬時に追いすがった。
「……では、アルヴェリターレのベルソルツ家へ取り次いでください。この貴石の特性について本家だったら承知しているはずです。私の報告書だけでは証拠たりえないなら、そちらへ委細を照合してください。父は本家との関係が遠い身ではありましたが、叔父とは最低限のやりとりがありました。慶弔に関することは手紙を交えていたので、甥である私の存在は顔を合わせたことがなくとも承知しています。なので、私の名前を出せばしかるべき返答があるかと」
「ベルソルツ」
名を呼び制する声にルカはひるまなかった。
書類は既に用済みだとばかりに横へ除けられており、再度手にとられる様子もないのだ。ここで折れたら話に終止符が打たれてしまう。
沈黙が落ちぬようルカは必死にまくしたてた。
「もしくは他の者にこの貴石を預けて同じように夢を見るか試してください。私のように父や他の住民が狂乱する現場を見るかは分かりません。しかし仮に時系列の違う場面を見ることがあっても、それが私の家族や故郷に関するものであれば、少なくとも貴石が過去の記憶を貯蔵すると証明できるはずです。このペンダントは教官だってお手にとったことがあるのですから、その際の記憶を貴石と教官とで照らし合わせることができれば」
「――ルカ」
フェデルタの低くした声に、ぎしりと軋んだ木のように動きが止まる。彼が教官という立場にいる際、頑として呼ばなかった名をあえて選んだことに、ルカは気勢をくじかれた。
「お前に暇をとらせる」
「なっ、」
何故、と問う前にフェデルタは窘めるように続ける。
「伝承はあくまで伝承。検証に値しない。……不用意に期待させるようなことを言って悪かった。私の手落ちだ」
徐々に表情を翳らせながら言うフェデルタは、意識を切り替えるようにごく短く息をついた。やや俯きがちになっていた視線がまっすぐにルカへと据えられる。
そのまなざしは指導者としての峻険さを宿していた。
「近頃のお前は、らしくもないミスが多く気もそぞろだ。……先日の演習では打ち合いで正面から一撃をくらい、地面に叩きつけられていたな。体勢を立て直そうとした際も足元がおぼつかなかった。不覚を取るような相手ではなかったはずだ。その上、身のこなしも随分と鈍くなっている。基礎鍛錬でもすぐに息をあげるようになって、ただの走り込みにすら、ついていくのがやっとといったところ」
ひときわ顔を険しくさせたフェデルタの言には、静かに力がこもる。
「……訓練後、いつもなら追加で自主鍛錬に取り組むお前が、物陰でうずくまっているところを何度も目撃されている。ある時には過呼吸と空嘔が止まらなかったため、救護室に運ばれたとも報告を受けている。……お前の学友達からも私の方へ訴えがあった。今に倒れるのではと気が気でない、と案ずる声がな」
事実を列挙され、ルカは反論を飲み込まざるをえなかった。
誰の目から見ても自分が疲弊していることは明らかだ。少なくとも、士官候補生としての日常をおくるのに差支えがでているほどには。
おまけに、ここにきて夢で見たことを事件の証拠たりえるのだと、隈を濃くして書面をしたためたとあれば、教官という立場の者から見てどう映るか。
話の流れが望まぬ方向に進んでしまっている事に、ルカの額には嫌な汗がにじんだ。
「強健なお前が心身ともにここまで弱っているというのに、今のまま訓練に参加し続けることを教官として看過できん。……お前には静養が必要だ」
険相な面持ちのまま椅子から立ち上がったフェデルタは、書類を火のついた暖炉へと躊躇うことなく投げ込んだ。唖然とするルカへは、もはや一瞥もくれないようとしない。
「事件の調書作成も他の者に引き継がせる。ただいまをもって、お前をマーレ村の任から解く」
いよいよ突きつけられた最後通牒にルカは悲鳴じみた声を上げた。
「そんな……っ!自分はまだ――」
「出来ない。その様 では無理だ。不適格な者を任に充てる訳にはいかない」
瞬く間に塵と化した紙束を見下ろし、フェデルタは低まった声で告げる。
「もう何もするな」
それきり、発言することは許されなかった。
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