襤褸まとう忠狼

第3章 永訣の鳥

Work by もっさん

まだ朝日が昇る前のぼんやりとした闇の中、マーレ村を見下ろす小高い丘の上にルカはいた。
傍らには地面に置いたカンテラと、寄り添うように寝かせた三人分の遺体袋。息苦しくないよう――それ自体に意味がないことを理解していながらも――顔のあたりは布を少しだけ開けてある。
一人、無言のままシャベルを地面に突き立てては土を掘り起こしていく。
ルカの膂力りょりょくではこの程度の労働、なんてことはないのだが妙に土が重たく感じてしまうのは何故だろうか。連日の任務による疲労のせいだけではないだろう。
腕に伝わる土の感触もだが、それよりも遥かに胸の奥底の方が重苦しい。
底なしの海底にいかりを降ろされた船は、こんな気持ちになるのだろうかと終着のない思考をしていたルカは、手を止めて家族の寝顔を一瞥した。
ルカの一族は非常に強健な体を持つ一族である。並大抵のことで体が害されることはない。
しかしそれはあくまで心臓が動いている間のことで、ひとたび生体活動が終わってしまえば通常の人と同じく体は朽ちていく。であればこそ腐敗する前に土の下で眠らせてやりたいと、一時いっときだけでも暇をもらえないか上へ訴え、特別に許可をもらい今日の任務が始まる前に家族を埋葬することにしたのだ。
任務外での自由行動など許可が下りないと思っていたが、上役は意外にもあっさりとルカの申し出を了承してくれた。
「だいたいのことはフェデルタから聞いている」と、ひとこと添えて。

(教官が俺を推挙したのは土地勘があるからじゃなく、最初から……)

バサバサと、すぐ後ろの林で野鳥が鳴き声を上げながら枝葉を揺らす音に我に返る。
高く独特な節をつけて鳴くそれは、日が昇る直前になると獲物を求めて海へ出る鳥だ。もうそろそろ夜明けが近い。

(……父さんが海へ出る時間だな)

この夜明よあどりが鳴けば父が船を出す。幼い時分には母に背を押され、眠たい目をこすりながら弟と共に父の背に手を振ったものだ。

(見送りの合図……この鳴き声が嫌いだった)

大好きな父が少しの間とはいえ、不在になるのが幼心に嫌でたまらなく、その背を追うようにして空を駆ける鳥がまるで自分から父親を奪っていくような気さえしていた。
そして今、家族を土の下へ見送る時でさえ、この鳥はこちらの気などお構いなしに朗々と歌いながら羽ばたいていく。
大切な誰かに別れを告げる時にはいつもこうだ。

(……本当に嫌いだ)

天高くゆったりと羽を広げる鳥に目をすがめた後、ルカは再び手を動かし始めた。
地面にシャベルの先端が刺さる鋭利な音と、まとまった土が投げ捨てられる鈍い音。ひたすら単調な作業が続けば、頭の余白に浮かぶのは在りし日の家族の姿だ。
あの日に礼拝所で家族と対面してからというもの、ルカはいつかのありふれた日常の彼らを反芻はんすうすることで、途方もない喪失感とえぐれるような胸の痛みを凌ごうとしていた。
鼻歌を歌いながら船の整備をする父の背中や、お気に入りの花を飾ってのんびりと微笑む母の横顔、苦手な勉学に打ち込む弟のくたびれた顔。たまの帰省の際、いつものように見ていた風景も、いつかは己の中で風化してしまうのだろうか。
身内を弔うなどという初めての経験を前にしているせいか、とりとめのない思考が作業の合間をぬって顔を出しては消えていく。そして、そのどれもが折り重なって胸中に癒えない傷を残していく。
体はイクス随一の頑丈さだというのに、随分と脆い精神をしていると、ルカは人知れず自嘲しながら家族のために寝床となる穴を掘り続けた。
そうして掘り起こしていく土がほんのりとした湿り気をおびてきた頃、嘆息まじりの声を漏らした。

「……こんなものか」

横長のぽっかりとした穴の横にシャベルを突き立て、屈めていた腰を伸ばせば自然と丘下の村へと視線が移る。
薄闇の中にあってもひときわ沈んだ色をしたそこには、同じ色をした瓦礫が積んであるばかりだ。遠くからでも分かるその惨状に、思わず眉根が更に寄る。

(ここから見る景色は綺麗だった。森林の緑に海の青。いつも柔らかい風が吹いていて……)

かつての面影を追い求めて視線を彷徨わせれば、村のはずれにある墓地が目に留まった。小さな共同墓地は石でできた墓標のみを残し、死者を悼むために植えられていた木々や花々は跡形もない。
通常であれば遺体はそこに埋葬するのが村の習わしだったが、焼けた地面の下に家族を弔うのには抵抗があった。
ならばと思い、村から少し離れた小高い丘に三人だけの墓を建てることにしたのだ。

「ここからなら村も海も見える。みんな、文句ないだろ?」

泣き笑いの表情になりながら両親と弟に語りかける。応えはない。
両親はこの村を心の底から愛していた。
そもそもルカの家は先祖代々、マーレ村に住んでいた家系ではない。父親が故国であるアルヴェリターレの生家から当時、まだ恋人だった母親と駆け落ち同然で移り住んできたと聞いている。
それ以上詳しい事情は息子であるルカにも分からない。父はこの話題になると口を閉ざし、母も「あの人が話したがらないなら」と進んで経緯を話すようなことをしなかったためである。
紆余曲折あったようだが、ほぼ身一つで国を出て帝国に渡ってきた両親が流れ着いたのがマーレ村だったのだという。
柔らかな潮風に穏やかな気質の人々。寄る辺のない若者二人を、村に余裕がある訳でもなかったのに受け入れてくれた住民たちに両親は深く恩義を感じていた。
その気持ちを考えれば縁もゆかりもない遠方に埋葬するのも忍びない。やはり村が見えるところに埋葬するのがいいだろう、と考えたところでルカは弟の遺体の傍へ屈み、その無表情な顔を覗き込んだ。

「レガロ、お前もここでいいよな?よく遊びにきてたもんな」

応えが欲しくて訊いている訳ではない。ただ、言葉を吐き出さずにはいられなかったのだ。
この丘は幼い頃、兄弟で秘密の遊び場にしていた場所だ。少し大きくなってからは、家で話しにくいことを二人で語らったりもした。
レガロが将来の夢を話してくれたのは、いつのことだっただろうか。

『俺も士官学校に入る!兄貴よりも立派な成績で入試を突破してやるからビビんなよ!』

晴れ渡った空にピンと人差し指を突き立て、威勢よく言い放った彼の声を昨日のことのように思い出す。
レガロは体を動かすことは得意だが、座学の方はからっきしだった。だというのに、あまりにも自信満々に、にかっと歯を見せ快活に笑う彼にルカは苦笑いを返したものだ。

『でもさ、あの~……花屋の娘いるじゃん?金髪のさ、可愛い娘。前にも兄貴にちょろっと話したけどさ、俺、自分の気持ちを伝えようか迷っててさ……。都に出る前に告白したいんだけど、でもさ、村を出ていくつもりのくせに一方的に気持ちを告げるのは、向こうからしたら迷惑だよな……』
『俺の見本はいつだって兄貴だった。遊びも勉強も鍛錬も、ぜーんぶ兄貴を真似してやってきた。でも恋愛はなぁ……兄貴に浮いた話はないからな』

むずがゆそうに赤面したかと思えば、子犬のようにしょげたりと、ころころ変わる表情を思い出す。あの時と同じようにルカは苦笑いを浮かべたが、にじませた感情は全く異なるものだった。
横たわるレガロの肩のあたりに手を添え、寝付いた子供に「おやすみ」と告げる親のように囁く。

「向こうであの娘と仲良くな」

くだんの女性の遺体は既にルカによって掘り起こされている。
他の住民同様、元の人相すら判別できない程に身を焼き尽くされていたため、初めのうちは分からなかった。しかし、礼拝所へ遺体を運び込んだ際、検死官が住民名簿に書かれた彼女の名前を横線で上書きするのを見て、諸々を悟ったのだ。

「黄泉の門をくぐる頃には会えているといいな」

そうして覚悟を決めるように一息ついた後、レガロの体の下に手を差し入れて慎重に持ち上げる。
穴の底に砂利や大きな石がないことを確認し、静かにその身を寝かせてやれば、地表よりも少しばかりひんやりとした空気と濃い土の匂いが鼻孔をついた。

(……棺のひとつでも用意したかった)

本来であれば近隣の街から神官を呼び、クロニクル奏上そうじょう――死者を弔うための詠唱儀礼――を手配したいところだった。しかし、現状そのような都合がつくはずもなく、冷たい地中に直接、それも遺体袋に包んだままの埋葬となってしまった。
聞くところによると、近隣の集落では既にマーレ村の話が尾ひれ付きで広まっているという。
曰く「呪いを受けた村」だと。原因不明かつ不可解な状況はあちこちに伝播しているらしく、口さがない人々からはそう呼ばれ始めているらしい。
これではもう日を改めて神官を呼ぼうとしても、あてがないだろう。

そもそもクロニクル奏上とは、古今東西に多くの信徒をもつユノン教の葬送儀礼である。
その信仰は最古の宗教とも言われ、常春とこはるの国アルヴェリターレを起源とするが、ここ帝国においても都から辺境に至るまで有史以前から信奉されている。
ユノン教には数々の儀礼が存在するが、とりわけ重要視されているのは葬儀である。亡骸が祭祀を経ることなく捨て置かれたままでは、魂が天上へ昇れず彷徨ってしまい、やがて邪悪な存在が魂を喰らいにくるという。
長く歴史をもつ信仰のため、時代ごとの多様な死生観と交じり合い、喰いちぎられた魂の行く末には様々な伝承がある。
意識を保ったまま絶え間ない痛みにとらわれ続けるだとか、新しく魔として生まれ変わり生者を襲う厄災となるだとか、この世ではない世界に移送され魔のしもべに拷問され続けるだとか……。
子供の頃に家族と旅先で見た神殿の、凄絶せいぜつなフレスコ画を思い出し、竦然しょうぜんとしたルカはかぶりを振った。

(あくまで伝承の話だ……)

しかし脳裏にこびりついていた、淋漓りんりとした筆跡はそう簡単には振り払えなかった。
流汗りゅうかん滂沱ぼうだする亡者、幾許ここだくしたたる鮮血、永遠無窮えいえんむきゅうの苦痛。
奏上なき魂の行く末には、人類の想像の限りを尽くした、あらゆる破滅的展開が伝わっている。
ゆえに、葬送は亡者救済の儀礼として何においても優先される。

昔に習った詩編によれば魂魄を冥界へ運ぶため、蒼い炎をその身に宿した御者ぎょしゃが死者を迎えにくるのだという。冥府から出立した馬車が地上へ降り立つ時、亡き者のために捧げられた詠唱を頼りに御者は馬に鞭を打つのだとも。
そのためクロニクル奏上には、故人の生前の経歴や善行が詠われるのが通例だ。これは故人が天に召し上げられるだけの善き行いを積み、何ら恥じることのない生涯をおくった者だと、祈りと共に神へ申し上げるためだ。この際に作成される文言ならびに詠唱そのものをクロニクルと言う。
浄闇じょうあんが如く染め上げた奉書紙ほうしょがみに、祭司が遺族から聞き取った故人の来歴を、神々が用いるとされる古代語によって書き起こし、葬儀に際して詠みあげられる。
その祭式はユノン教の神官が定められた修練と潔斎けっさいを行った場合にのみ、天に届くとされる。
仔細を知る者が見よう見まねで執り行ったところで、意味を成さないとされ、形をなぞっただけでは神々への奏上とはならない。
だとしたら何の目印も持たない家族の元に、宙を駆る蹄鉄ていてつの音は迎えに来てくれるのだろうか。

――待ちぼうけを食らってはいないだろうか。

ついさっき弟に掛けた言葉が頭の中で反響する。よくもまぁ、「向こうで仲良く」などと無責任な声をかけられたものだ。「向こう」へ行くためのお膳立ては、遺された側がやってしかるべきだというのに。
満足に弔う準備もできない自分が不甲斐ないと、ルカがもう何度目になるか分からない溜息をついた時、背後の林をかきわけてジトレがひょっこりと顔を覗かせた。
「準備は進んでるか?」
いつもの調子で軽やかに問うてくる彼は片手にカンテラ、もう片腕には花を数輪、束にして抱えている。草木に足を取られつつも、周囲に不規則に伸びる枝に花が不用意に触れることがないよう、注意をはらいながらルカのもとへ歩いてくる。

「ご要望の品はこちらで良かったかな?」
「ああ。……手間をかけたな」

花弁が崩れないよう丁重に渡してくるジトレから礼を言いつつ花々を受け取ると、「なぁんのこれくらい」と彼は小首をかしげ、からりと笑った。
今の自分は相当ひどく傷悴しょうすいした顔をしているだろう。しかし、相対するジトレの顔に憐憫れんびんの情が微塵もにじんでいないのは幸いだ。
今のルカにとっては同情こそが一番、遠ざけたいものだ。人目のあるところではどうにか体裁を保っているが、周囲から不憫な身の上だと同情を以て扱われてしまえば、余計に失ったものの大きさを再認識させられ、たがが外れてしまうかもしれない。

「探すのに苦労しただろう。この時期にはおおかた、散っている花だ。無茶を言ったな」

労いの言葉をかけ、受け取った花々に視線を落とす。
ジトレもまたルカに併せて自由行動の許可をとり埋葬の手伝いを買って出てくれたのだが、彼にはこのあたりで咲く、とある花を採ってきてほしいと頼んでいた。

「たいした手間じゃねぇよ~。運よく群生しているところがあったんだ」
「……そうか。すまないな」

嘘だと分かりながらも、それを指摘するようなことはしない。
ルカが頼んだ花は碧空へきくうを写し取ったような鮮やかな花弁を開かせるものだが、その色は澄んだ淡水と地中の成分を吸収して発現するものである。
自生すること自体は容易だが、ルカが頼んだ色のものは、このあたりではごく限られた場所でしか咲かないものだ。
やや季節外れなこともあり、はなから期待していなかったからこそジトレには一か所だけしか目ぼしい場所を教えておらず、無いなら無いで構わないと伝えていた。しかし、おそらく彼は粘り強く何か所か回ってくれたようだった。
形が良く鮮明に発色した花を見れば、言外にそのことが分かる。これだけの量を摘んでくるのは、さぞ骨が折れただろう。

「……母がよく飾っていた花なんだ。父や俺たち兄弟の髪色に似ているからと」

後半はひとりごちるような声になりながら、花弁が汚れることのないよう柔らかな草々の上に寝かせる。

(まめに世話をしないと長持ちしないからと、毎朝、母さんが花瓶の水を替えていたっけな……)

あんまり採れる花じゃないんだから大事にしなきゃねと、あかぎれを気に掛ける様子もなく早朝の冷たい水を汲む母の姿が思い起こされる。
花の世話をする母の手つきは、自分たち兄弟の頭をなでる時と同じように繊細だったなと、今になって思う。
ルカは母の遺体をゆっくりと、壊れ物を扱うように抱えた。その身は驚くほど軽い。

「花は一緒に埋めるんだっけか?」

足元をカンテラで照らしてくれるジトレに首肯を返す。弟の隣にぴったりと付け、母の身を横たえさせる。

「墓前に手向けても潮風で転がるかもしれないからな。……それに、棺も奏上もないんだ。花ぐらいは持っていかせてやりたい」
「花ぐらい、じゃね~よ。今の状況からしたら十分、孝行だろ」

ぽつりとこぼしたルカに頭上から否定が入った。

「……そうか」

同情など露ほども感じさせない、いつもの調子で言われると、かえって胸奥にくるものがあった。
それよりも、と言いながらジトレはカンテラの明かりを揺らし、光源を穴の底へ近づける。

「ほら、お袋さんの髪、乱れてんぞ。直してやれよ」

潮風のせいか、見れば確かに前髪のあたりの毛束がほつれている。ルカは汚れだらけの手袋を脱ぎ、母の乾いた髪をたどたどしく指先で梳いた。火にあぶられてもなお、艶を保っていた髪もそろそろ油分が抜け始めているようで、所々もつれてきていた。

『お母さんたちの髪が伸びてボサボサになる前に、顔を見せにきてちょうだい』

都へ出る朝、一本の短剣を差し出してきた母の言葉を思い出す。
簡素な見た目に反して重みを感じさせるそれは、父がアルヴェリターレの生家から持ち出したものだと聞いている。その刀身はルカの一族特有の堅牢な体を唯一、傷つけることができる特殊なものであり、一家の髪を切るために使っていた。
詳しい造りは父にさえ分からないが、大変貴重なものであることは確かなようで、ルカが帝都で同じものを求めても、ついぞ見つけることができなかった品である。
実家に一本だけあったそれを出立の際に母から託されたのだ。

『あなたにこれを預けるから、面倒くさがらずに帰ってくるのよ』

家族の髪を切ってくれていたのは、いつも母だった。通常の髪切かみきばさみと違い、一本だけの刀身を髪にあてがい丁度よく整えるのは技量がいる。そのため一家の中で一番、手先が器用な母が皆の散髪を担ってくれていたのだ。

『忙しいだろうけど、たまには手紙を寄越してちょうだいね。それに、冬越しの時期には学校もお休みになるんだから、ちゃんと戻ってくるのよ。うんと沢山、ペスカトーレを作って待ってるからね。必ずよ』

なめし皮に納めた短刀をルカの手に乗せ、名残惜しそうに手を離しあぐねる母の顔を忘れたことはない。
もうとっくに母よりも上背が伸びたというのに、いつまでたっても息子のことを食べ物で気が引ける子供だと思っている人だった。
ルカは母の絹のように細い髪を整え終えると、そっと指先を抜いた。

(女性の髪をいじったことなんてないから、多少不格好でも許してくれよな)

自嘲交じりの許しを請いながら穴から上がる。手袋をはめ直せば、控えていたジトレがカンテラを地面に置く、じゃりっとした音が聞こえた。

「明けてきたな」

遠くを見渡す彼の声につられて顔を上げれば、水平線近くの空がじわじわと紫紺しこんをおびて白んできていた。
黎明の地には潮風が木立を揺らす音に交じって、ぴゅーいと独特な節をつけた音が次々と響き渡る。
海と空の狭間を悠々とたゆたう夜明け鳥の鳴き声。今のルカにはそれが永訣を告げる呼子のようで、ひどく疎ましい。
夜が明け始めているということは、今日の任務が始まる時間が近づいているということだ。別れを惜しむ時間は、そう長く残されてはいない。
ルカは日に背を向けると、最後に残った父の遺体へと歩み寄った。

(いつか親を見送る時がくるとは分かっていた。けど、その時がこんなに早く訪れるとはな……)

親族との永別は等しく誰しもが経験する。そんなことは理屈の上では重々理解していた。
だがしかし、そうだとしても一度に抱えるには何もかもがあまりにも重い。

「――なすべきことをなすだけ」

父がいつも口にしていた訓示の、その続きを飲み込む。やわい潮風にも溶け消えるくらい小さく呟いたのは、自分でも無意識だったためだ。
しばしの逡巡の後、脱力しきった父の体を横抱きにすると、ルカは意を決して踵を返した。穴の底の、ならした土の上へ丁重に据え置く。
弟を真ん中に、父母を両側へ隙間なく並べ終えると上方からジトレの声がかかる。「ほれ」と軽快な声色とは裏腹に、注意深く渡してきたのは紺碧の花束だ。草々の上に置いていたせいか花弁には朝露がかかり、さしかかってきた陽光が雫の淵に照り返している。
瑞々しいその様を見れば、朝が来たのだという実感がさらに湧き、無情感がこみ上げてくる。黄昏の胸裏とは裏腹に、太陽は波瀾のない平らかな海をせりあがってきていた。

(――これで、最後か)

頭が重く、鼻がつんとする。こめかみのあたりが、まるで火がついたように熱い。まだ陽の届かない場所から漂ってくる冷えた空気が、湿り気を含んだ喉奥を刺激する。途方もないやるせなさが全身を隙間なく満たしていく感触が、堪らなく苦しい。

(俺にとって今、なすべきことは)

ルカは父、母、弟の寝顔を順繰りに見やった。
急き立てられる気持ちを押さえつけ、己の魂に刻み込むように、ゆっくりと。

「……国への忠誠よりも先に」

胸懐に居座る混然とした感情につき動かされ、ルカはわななく口元で言葉を紡ぐ。

「俺は、あなた達のために膝を折るよ」

そうして、じっとりと体温を奪う墓穴に跪き、一人ひとりの胸に上に供花した。
遺体袋のざらりとした布地に供された紺碧の、その滑らかな花弁を伝って花心かしんに雫が滑り落ちていく。
納めるべき箱もなければ、着せるべき装束もなく、立ち会う者もごく僅か。添えられた数少ない花の彩りが、かえって寂寞せきばくたる様を引き立たせる。葬儀というには、あまりにみすぼらしい光景だった。

(花以外にも、何か副葬品でもあればまだ……)

跪いたまま項垂うなだれたルカの頬に、さらりとした感触が触れる。
今しがた手向けたものと同じ色をしたそれは、長らく伸ばしたままにしていた髪だった。士官学校への受験を控えた弟のため、そう信心深い方でもないのに験担ぎで切らずにいたものだ。
当の本人には理由を告げずにいたため、やれ都へ行って兄が色気づいただの、軟派になっただの、やかましくされたものだった。騒ぎ立てる弟の後ろでは、事情を知る両親がいつも困ったように笑いながら顔を見合わせていた。
思いがけず、そう懐かしくもない思い出が去来する。
――瞬間、思い至ったルカは太腿に巻いていた、なめし皮の鞘へ手を伸ばした。差していた短刀を引き抜くと襟首へと刃をひたと寄せ、ひと房にからげていた後ろ髪を躊躇することなく切り上げる。
ごく短く、空気の切れる音が耳朶じだをかすめた。
うなじでまとめていた留め紐のおかげで、ざんばら髪は風に踊らされることなく手中でくたりと垂れる。
背の中ほどまで伸ばしていた髪は、手に持ってみれば存外軽いものだった。
ゆるく握ったそれを見下ろせば、事の次第を見守っていたジトレが息をのむ気配がした。ややあって我に返ったのか、彼から声がかかる。

「お前っ……、それは弟さんのために……」
「いいんだ」

思わず身じろいだジトレを静かに遮り、ルカは毛束を弟に供した花に寄せた。

「もう必要ない。……願いが成就しないなら、せめて手向けとして持っていかせる」

言葉を詰まらせるジトレに対し、「それに」と続ける。

「ほんの少しだけでもいい。傍に居たい。俺のことを、残していきたいんだ」

するりと出た言葉だったが、次いで喉をく鈍い感覚がルカの唇を閉ざした。
己の意思とは関係なしにゆっくりと頬を伝うものがある。
最後ぐらい穏やかに見送りたかったのに、と眉根を寄せれば視界が海面のように揺らいだ。こらえなければ、耐えなければと眉間のあたりに力を込めるが、溢れる雫は、いっかなおさまる気配がない。
そうして最初の一筋が顎の輪郭を落ちきる頃にはもう、堰を切ったように止まらなくなってしまった。
形ばかりの体面を保っていたとしても、少しほころんでしまえばこのざまだ。ルカは奥歯を噛み締め、こみ上げる嗚咽を飲み込むと視線を足元に落とした。
しかし、俯いたのは自己憐憫や哀傷に沈むためではない。弔うためにだ。
どのみち奏上なき魂がいずれ魔に魅入られるのだとしたら、その瞬間が一秒でも後であってほしい。
ほんの僅かな間だけでもいいから、可能な限り長く安穏な眠りを妨げられないようにあってほしい。
遺された者として出来る事があるのなら、もはやそれを祈る他ないのだ。

(だったら――)

ルカはふっと、細い息をつくとやおら居住まいを正し、慇懃丁寧いんぎんていねいこうべを垂れた。しかし、その所作はユノン教の礼法れいほうとは異なるもの。
永別を前に、おのずから四肢が動いたものだった。
言葉をかけてやれるとしたらこれが最後だと、頭の奥から、さやかな声が響く。かろうじて残っていた理性の声だろうか。もはやルカには誰ともつかぬ声のように感じられたが、そんなことは今や些末なことだ。
ルカは全身を満たす混然とした感情を押し切って、静謐せいひつな弔いの情だけをすくいあげる。喉の震えを抑え、凛とした声を澄んだ空気の中で響かせた。

「あなた方の眠りがたいらけくやすらけく千尋ちひろに続きますよう。照りはたたく厳暑げんしょの日も、荒寥こうりょうたる厳寒げんかんの日も、碧空にみ続けましょう」

安らかな眠りを恒久に祈り続けると。頭を持ち上げたルカは、東の明けしらむ海面を瞳を眇めながら見はるかした。
その誓いを見届けるかのように水平線の向こうから顔を出した陽光は、塚穴ごとルカを包んで照らしていた。

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