襤褸まとう忠狼
Work by もっさん
「いよ!チャンピオン!」
背中を勢いよく叩かれ、ルカ・ベルソルツは棚に飾ろうとしていた盾を手から滑り落とす。
とっさに身を屈めたお陰で運よく手の平で受け止めることができたものの、危うく床に落とすところだった。
盾に変わりないか確認した後、崩した体勢を立て直したルカは、溜息をつきつつ声の主を振り返る。
「いきなり叩くなといつも言ってるだろうジトレ。怪我をしたらどうする」
苦言を返されてもニタニタとした笑みを浮かべている青年――ジトレ・チェントセイは、こちらが言葉ほど怒っていないことを分かっているようだった。
「またまた御冗談を~。お前、切られても撃たれても、いっつもピンピンしてんじゃん」
友人同士で軽口を叩きあう―それが士官学校という場であれば多少、粗雑な応酬も出てくる。前置きなく叩かれてなお険悪な空気にならないのも、これが同期である自分たちにとって日常的なやり取りの範疇だからだった。
「御前試合で優勝するお前が、この程度で怪我なんかするもんかよ~」
こちらの手の中にある盾を覗き込んでジトレが言う。
小さくもずっしりとした重みのあるそれには、ルカの名前が刻まれていた。
「俺が怪我をしなくても、周りにいる奴が巻き込まれるかもしれないだろう。こないだだってお前、食堂で……」
盾を棚に置いたルカがあきれ顔になって言い返そうとするも、遮るようにしてジトレはぼやき始める。
「あ~あ、俺だって初戦からお前に当たらなければ、もうちょっといい所までいけたのになぁ~」
頭の後ろで腕を組み、わざとらしく口をとがらせるジトレは、小言など聞く気がないと言わんばかりだった。
未練がましい口調の彼が言及しているのは先日、士官学校で行われた武術大会のことである。ルカ達が所属しているのは帝国軍直轄の士官学校であり、今年は創立から300年の節目を迎える。
それを記念した催事の一つとして行われたのが皇帝陛下を招いての御前試合であり、士官学校の学生の中でも特に優秀な者を選抜して開催された。
その大会で優勝したのがルカであり、今しがた棚に飾ったのは皇帝陛下じきじきに授与された記念品である。
「まぁでも、お前が優勝すんのは誰から見ても明らかだったし、負けたこと自体には驚いてねぇんだよな~。切っても撃っても軽くいなされるわ、隙をついて一気に拳打ち込んでくるわで、敵わねぇもん」
軽口を叩きながらも直球の賛辞を言葉にするジトレにルカは一瞬、面くらってしまう。
元々、褒められることに慣れていないため、こうも真正面から賞賛されると面映ゆい気持ちになってしまった。
「……単に体が頑丈なだけだ」
ルカはイクスの中でも特殊な一族の生まれで身体が非常に強固にできている。どんな刃物であれ銃弾であれ、その皮膚はすべてを受け止め赤みすら出来ることはない。
実際、御前試合においても対戦相手が繰り出してくる武器をかわすこともなく腕一本で受け止め、かすり傷ひとつ負うことはなかった。
言葉少なに謙遜するルカに対して、それが照れ隠しだと分かっているのかジトレは続ける。
「でもよ~お前と当たることを想定して対策してた奴はいっぱいいたんだぜ。それを跳ねのけたのは実力だろうよ~」
もちろん俺もな、と付け加えてカラッと笑うジトレの顔には、先ほどのような口惜しい色はにじんでいない。
人を褒める時には手放しで賞賛を口にする。そういうところがこいつの美徳だなと、倣って返す言葉を探すルカだったが、その思考は自室の扉をノックする音によって遮られた。
誰何 することなく告げられた名前に入室を許可すれば、顔を見せたのはよく知る後輩の一人だ。彼はいつものように人懐っこそうな笑みをたたえながら入ってくる。
「お話中に失礼します。お借りしていたノートをお返ししに来ました」
そう言うと後輩は大事そうに抱えていたノートをルカの方へ差し出した。受け取りつつ、そういえば少し前に試験対策として過去にまとめていたものを貸し出していたなと思い至る。
「少しは力になれたか?」
ほくほく顔の後輩を見るに、試験の結果は上々だったようだ。つられて笑みをこぼしながら尋ねるルカに後輩は更に笑みを深めて首を大きく縦に振る。
「ええ!なんとか赤点は免れましたよ!本当にありがとうございました!」
鼻息荒く両手を胸のあたりで握りしめる後輩に、今度は苦笑いを浮かべてしまう。
「お前にしては上出来じゃん。ベルソルツ先生にお礼しとけよ~」
横から口を挟んできたジトレが後輩の脇腹を小突くが、それに対し気を悪くする様子もなく後輩は頷く。
「もちろんです!こないだ、ベルソルツ先輩から燻製のやり方を教えて頂いたじゃないですか。僕も今度、作ってみようと思うのでご馳走しますよ!」
先日、試験勉強に精をだす後輩数人に趣味で作った燻製を差し入れたのだが、渡す際に作り方を訊かれたため、かいつまんで教えたことがあった。どうやらその時のことを覚えてくれていたらしい。
ルカとしては美味い美味いと平らげてくれただけで返礼として十分だったのだが、それはそれとして後輩の律儀さは嬉しく感じる。
「気にするな。俺が好きでやったことだから、その気持ちだけで――」
「お前の燻製ってフェデルタ教官も褒めてたやつだよな。俺も食いて~!」
やんわり断ろうとしたルカの言葉に、人一倍食い意地の張ったジトレの遠慮ない言葉が被さってくる。
肩を落としたルカが何事か言い返そうとするが、それよりも先に後輩が思い出したように口を開いた。
「フェデルタ教官といえば、ベルソルツ先輩のことを呼んでいらっしゃいましたよ」
呼び出しに応じ教官の執務室に来たルカに告げられたのは、あまりにも思いがけない事態だった。
「私の故郷が壊滅、とは……?」
訳の分からないまま、今しがた受けたばかりの説明を反芻 する。
呆然自失のままに呟いたルカの目の前には、机上の報告書に視線を落とした教官――オルトゥス・セイリオ・フェデルタがいつものように厳めしい表情で座っていた。
「現状そうとしか言いようがない」
軍人然とした冷静な返答を聞き、否応なしに鼓動が早まる。
(マーレ村が壊滅……?何故?)
マーレ村は都からやや離れた所にある小さく閑静な漁村で、温かい気風の土地である。
しかし教官の口から語られたのは、そんな穏やかな村からは到底、想像できない惨劇の様子だった。
「数日前、マーレ村の全域が焼け落ち、数多くの村人たちが息絶えた状態で見つかったそうだ」
紙面をめくり、フェデルタが仔細を淡々と読み上げ始める。乾いた紙が擦れる音を聞きながら、ルカの頭には今も故郷にいるはずの両親と弟の顔がよぎった。
嫌な汗がじっとりと全身から滲んでくる。
「最初の発見者は村に定期的に訪れている行商人。荷車を進めていたところ、村のある方角から煙が立ち上っていたため不審に思い、道を引き返した。その上で、近隣の村から自警団を伴い改めて村へ入ったところ、家屋が軒並み焼け落ち、住民たちが瓦礫の下敷きになっているのを発見したと」
息を詰まらせ何も言えないでいると、一瞬だけフェデルタがこちらをちらと見た。が、すぐにその視線は元通り書面へと注がれる。
彼は応答のできないルカをこれといって意に介する様子もなく、平坦な読み上げを続けていった。
「行商人が帰った後、自警団がそのまま調査に入ったが、不可解な箇所が多数あると報告が上がっている。特に住民達が倒れていた場所は奇怪だと。皆、家屋の中で死亡しており、屋外で倒れている者は今のところ一人も確認できていないらしい。当初は人々が寝静まった夜中、村全体を巻き込むような大規模な火災があったのかと推測されたが、それにしても不自然な状況だ。――村に備えてある消火設備が一切つかわれた形跡がない」
フェデルタのよどみない声をルカはどこか遠くに聞いていた。
次々と上げられる、牧歌的な村には似つかわしくないに報告内容に頭が追い付かない。まるで古びた歯車のように鈍く緩慢な思考のまま、つっ立っていることしかできなかった。
「……お前は承知のことと思うが、マーレ村にも自警団がある。訓練の練度が高いため、有事の際には近隣の村々へ助太刀を請われることも多かった。そうだな、ベルソルツ?」
無意識に足元へと視線を落としてしたルカは水を向けられ、弾けるように顔を上げた。
文面を追っていたフェデルタの視線がまっすぐ、射貫くようにして己を見据えているのに気がつくと、反射的に丸まっていた背をしゃんと伸ばす。
言外に気をしっかり持てと言われているような心地がした。
混乱を極める脳内を無理やりねじ伏せ、ルカは言葉を紡ぐ。
「……はい。マーレ村をはじめ周辺の村々は小さな集落ですので、防災機能を拡充するための予算が十分に割り当てられていません。また、漁村であるマーレ村には住居が密集して建てられています。少しの出火でも延焼の広がりやすさが段違いのため、今ある設備でも有事の際には最大限被害を抑えられるように鍛錬を積み、備えをしていると……自警団長から聞いております」
「今の自警団長はアルバスタ――お前の父親だったな」
ルカが首肯で応えると、フェデルタは話を戻す。
「有事に備えた貯水槽は蓋が開けられた様子すらなく、中の水には煤ひとつ入ってなかったという。くわえて、延焼を防ぐために家屋を壊した形跡もないと報告にはある。つまり、本件では消火活動が行われていないと思われる」
「そのようなこと――」
「そう、ありえない」
思わず否定しかけたルカの言葉をフェデルタが引き取った。
「どんなに些細な小火から始まったとしても、火の手が広がっていけば必ず気づく者がでる。消火のための人手をかき集め、まだ眠っている家々の扉を叩き、異変を知らせるだろう。……通常であればな。だが今回の件は違う。瓦礫から掘り出された家屋の錠前は、どこもかしこも施錠され、夜半に人が屋外へ出た形跡がないという」
書面が再びめくられる。次いで現れた文面を少しばかり黙読したフェデルタは、かすかに眉根を寄せ小さく息をついた。
「……『これではまるで、住民たちが消火も避難もせず、黙って炎に焼かれるのを待ったも同然だ』と、調査に入っていた自警団が気味悪がって撤収してしまってな。このような不自然な状況は、単なる火災として片づけるのではなく、人為的な手が入った大規模な殺戮とみなすのが妥当ではないか、と急ぎ帝国軍を派遣してほしいと領主から要請が入っている」
言い終えたところでフェデルタは報告書から顔を上げ、間髪いれずに続ける。
「軍からこちらにも探索に秀でた者を寄越せと話が来ている。ベルソルツ、お前の名を挙げておいた」
「私を、ですか……?」
思いがけない言葉に疑問を呈するも、その反応は織り込み済みだという表情でフェデルタは頷いた。
「土地勘のある者でないと探索しにくい場所もあるだろう。勝手が分かる者がいた方がいいと判断し、推挙した」
椅子から立ち上がったフェデルタが任務内容の書かれた書類を手渡してくる。緩慢な仕草ながら、なんとかそれを受け取ったルカは、書面をざっと流し読みした。
現状、軍が把握している村の状況や自分の合流する部隊のことなどが書かれてはいるが、まったくといっていいほど頭に入ってこない。こんな時なのに、いや、こんな時だからこそなのか、己の頭が思うように働かないことにルカは胸中で舌打ちをした。
「生存者の捜索ならびに死亡者の死因の究明、平行して周辺地域における残存戦力の有無を調査する。お前を含め、うちから数名が派遣隊に随伴することになっている。出立は明朝。速やかに準備にあたれ。以上だ」
任務の概要を告げ終わったフェデルタが席に戻るが、思考がまとまらないルカは棒立ちになったまま動くことができなかった。
家族はどうなったのか?無事なのか?沈黙の時間が訪れれば頭を占めるのは冷たく、重く、大きな渦のような疑問だった。
そうしてどれぐらい固まっていただろうか。ほんの数秒だったかもしれないし、数分だったかもしれない。いずれにしても退室を促す声はかからなかった。
「……了解しました」
時間感覚も分からない程の不安と乱れた思考の中、ようやくルカは絞り出すような声で応答した。
書類を脇に持ち直し、顔を上げればフェデルタがこちらへと静かに視線を注いでいる。そのまなざしには常とは違う色がにじんでいるようだった。
「常に平静であれ。動揺は行動を鈍らせる」と常々、目の前の師から教わっている。
厳しい言だが、過酷な訓練のさなかに何度も己を前に押し出してくれた心得。――父もよく同じことを説いていた。その教えに背きたくない一心でルカは踵を返す。
「事件の全容がまだつかめていないのを忘れるな」
己が背にかけられた言葉には、すべてが明らかになるまで望みを捨てるなという厳格な教官の労りが添えられていた。
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