襤褸まとう忠狼

第6章 協力者

Work by もっさん


フェデルタから強制的に休養を言い渡されてから数週間後。
自室を抜け出したルカはくびになって歩きながら、長く重たい息をついた。
回廊にこつこつとした硬質な足音が妙に響くのは、周囲に人気がないせいだろう。まだ日が高いこの時間は講義や演習があるため、学生の多くは寄宿舎から出払っている。
その代わり静まり返った空間を占めるのは、冬場の厳しい寒気だ。
今しがたついた溜息は白くなったそばから散っていき、外套にまとわりつくこともなく横風に流れていく。
にわかにひと吹きしてきた風に頭痛を刺激され、ルカは顔をしかめた。

(外の空気を吸ったら少しはマシになるかと思ったが……)

相変わらず続いている睡眠不足がたたり、体は手足に重りがついたかのように鈍重だ。しかし、うかうかしている暇はない。
乱れ髪は軽く撫でつけるにとどめ、ルカは回廊から逸れると落葉した木立の並ぶ脇道へと足を向けた。そのまま人目を避けるようにして建物の合間を縫って歩き、敷地の端の方へと進んでいく。
裏手にある通用門をくぐり路地へ出た後、いくつかの間道かんどうを抜けていけば、ほどなくして目当ての場所へと行きつく。
無骨な石造りのそこは研究棟と呼ばれる建物だ。士官学校から近場にある、軍直轄の研究施設である。
何をどのように研究しているのかは機密事項のため、学生の身分では知りようがない。しかし大抵の学生にとっては、おおよそ用のないはずの場所だ。

(ここに来るのも、もう何度目になるか……)

ぼんやりと物思いにふけそうになるも、すぐさま気を取り直したルカは重い両開きの扉に手をかけた。




養生のためと、にわかに与えられた無為な日々は気が休まるばかりか、かえってルカを煩悶させた。
フェデルタに書類を投げ燃やされた後、他の教官たちにも同じように書面を伴ってペンダントの件を訴えたが、結果は変わらなかった。
世迷い言を言うなと取り付く島もないか、あるいは気遣わしげにされるだけ。家族を亡くして気が動転しているがゆえに荒唐無稽なことをわめいていると。そう片づけられてしまった。
見かねたフェデルタからあてがわれたのは、心理相談員との度重なる面談や精神療法の時間だ。
その恩沢おんたくに感謝こそすれ、わだかまりを抱くのはお門違いだと、よくよく分かってはいる。しかし頭での理解と、胸中に抱く感情は明瞭に異なり、釣り合いがとれていなかった。

(フェデルタ教官の意に反するのは気が咎める。でも、そうだとしても……)

ルカは汲々きゅうきゅうとして真相を探り続けていた。
空いた時間で書庫へ通いつめ、端から端まで書架を巡り、あらゆる文献をすがるように手にとった。
そのさなかに思い描くのはやはりあの子供の姿だった。
過去に起こった怪火かいかの事例をどんなに微細な出来事であっても拾い上げ、複数の蔵書をひとつひとつ横断しながら紐解いていき、その中にあの青銀色の子供の痕跡がないかと躍起になって資料と向き合い続けた。
めぼしい情報は未だに得られず仕舞いだ。しかし、だからといって足を止める気など毛頭ない。

――あれから何度も夢を見た。
貴石を身に寄せて横たわる晩、きまって鮮明に再生される記憶。凄惨なものも、穏やかなものも、繰り返される家族の思い出はルカの胸奥を痛いほど締めつけ続けた。
「この人たちは前触れもなく理不尽に命を奪われた」
「この温かな時間をもう二度と、自分は共に過ごすことはできない」
そんな言葉が幾度となくよぎった。体の奥底に注ぎ込まれる痛みに耐えかね、理屈も正論も振り切ってルカは前に駆け出すしかなかった。
その場にうずくまり落涙らくるいにまみれる日々を過ごすことなど、もう出来ない。
涙はあの朝に置いてきた。今欲しいのはあの夜の真相だけだ。
しかし誰一人としてルカをまともに取り合わない上に、独力での情報収集にはどうしても限界がある。もがけども事態はいっこうに進展しなかった。
掴みかけていた真相への端緒が、少しずつ遠ざかっていくような感覚に、言いようのない焦燥感がつのった。あと少しだけでも手を前に伸ばせば、何かが指先に触れるかもしれないのにと。
そうして思考を行き詰らせたルカは「渡りをつけるとしたら誰か」と精思苦到せいしくとうした末に、ある人物を頼ることにした。
学生が寄り付くことのないこの建物に来たのも、その人物を訪ねてのことである。

(不本意だが、今はあの人・・・以外に頼る先がない)

ルカは無機質な石造りの廊下を一路、進んでいった。人目につかない経路を教えてもらっているため、士官学校の制服に身をつつむルカを訝しむ者もいない。

(それにしても、ここはいつ来ても気が滅入るな……。学舎と同じ軍直轄の施設のはずなのに、外観も内装も随分、雰囲気が違う)

外に面した鎧戸は一様に閉じられており、日光を遮って寒々しい。奥に行くにつれ増してくる、じめっとした重たい空気は何度来ても落ち着かず、息がつまるようだ。
見渡す限り屋内には調度品らしいものは一切なく、所々に灯された壁付けの燭台だけが申し訳程度の彩りだった。
その機能美というにはあまりに殺風景な通路を進んでいけば、やがて行き当たりにヴァニタス画の掛けられた扉が見えてくる。目当ての部屋だ。
もう何度か訪ねてきている場所ではあるが、改めてルカは何の気なしに見上げた先にある静物画に視線をとめた。
画面の真ん中には、がらんどうをのぞかせる頭蓋骨が描かれており、いたく寥々りょうりょうとしている。

(趣味の悪いことだ)

自然と険のある表情になりルカは人知れず毒づいた。温かみある古艶こえんを趣味とする恩師とは正反対だ、などと考えていると、不意に立ち止まったルカの気配に感づいたのだろう。ノックもしていないのに部屋の中からくぐもった声がかかる。

「入りたまえ、ルカ・ベルソルツ」

淡々とした声音に促され、ひとこと入室の断りを入れたのちにルカはドアノブをひねった。
が、半歩進んだ先ですぐさま、ごすっとした鈍い感触が扉越しに伝わってくる。――毎度のことだ。構うことなくそのまま押し開け、隙間から身を滑り込ませた。
後ろ手に扉を閉じた後、うんざりしながら下方を見れば床に雑然と散らばるのは本、本、本。
あたり一面には書物が横山よこやまのように積まれていた。なかには開かれたまま放られているものまである。
空き巣でも入ったのかと見紛うほどに散らかったその様は、几帳面なルカからすればいつ来ても眉をひそめたくなる光景だった。

「刻限通りだな。ああそこ、うっかり踏まないでくれたまえよ。そのあたりのは禁書庫から拝借したものでね」

しれっとのたまう声の方へ顔を上げる。
廊下同様、外からの明かりをとらない部屋には、薄闇が満ちている。屋内であっても肌身にしみるほど寒気が鋭くなってくる頃合いだというのに、暖炉には薪がくべられた形跡はない。
唯一の光源は部屋のあちこちに置かれた燭台である。そのぼんやりとした明かりに照らされ、奥の執務机からこちらを手招きする人物が口を開いた。

「前来た時よりも随分と辛気臭い顔をしているじゃないか。せっかくの閑暇かんか、もっと楽しんだらどうだね」

口元に弧を描き、ゆったりと椅子の背にもたれるその男は、先般の事件で検案書けんあんしょを渡してきた検死官だ。
名はドルバレコ・クレマトラーシュ。本人曰く帝国軍で「イクスの能力に関する研究」をしているのだという。なんとも漠然とした自己紹介だったが、学生相手には明かせない云々うんぬんがあるのだと、はぐらかされてしまった以上、詮索することもできなかった。
確かに立場が違えば共有できない情報もあるだろう。しかしドルバレコの言葉の調子を聞くに、どうもそれだけではない気がする。
訊いてもいないのに「昨日は焼きプリンを効率的に作るための実験をしていた」だの「節約と吝嗇りんしょくの違いについて論文をしたためたが読むかね」などと申告してくるあたり、こちらのことをおちょくる意図もあるように思えてならない。
結局のところ彼の軍における立ち位置はいまいち分かりかねるが、もうこの際そこには目をつぶることにしている。
なにしろ、ルカの言葉をまともに聞いてくれる唯一の人物がこのドルバレコだったためだ。多少、食ったような言動をとられても流すことにしている。

(とはいえ、この人の何かと癪に障る態度には心底、嫌気がさす。それはもう、とてつもなく)

ルカがドルバレコを頼ったのは彼が家族の遺体――ベルソルツの一族がもつ身体に興味を示していたからだ。
もしかしたら面白半分にでも耳を貸してくれるでは、と一縷いちるの望みで話を持っていったのだが、思った以上にドルバレコは前のめりになってくれた。
曰く「帝都へ運び込んだ身元不明の遺体をあれこれ開いて診てもこれといって進展がない中、君からの情報提供は貴重だ。とはいえ、まともに取り合うのは私ぐらいだろうがね」と。
すんなりとした態度に思わず「信じて頂けるのですか?」とこわごわ尋ねたが、「逆に訊くが、君は嘘をついているのかね?何のために?すでに周囲から疎んじられたり、同情されたりと散々な扱いを受けているのに?」と畳みかけられてしまった。
話に乗ってもらえるのなら、もうこの際、相手の実意など横に置くことにしようとルカはしょっぱい顔をしつつ決めた。
こちらのまとめた書面を丁寧に読み込んだドルバレコは、独自に調査を進めてくれるというので、以来ルカは何度か彼の元を訪れている。
今日は進捗報告があると呼び出しを受けたため、教官や心理相談員には黙って宿舎を抜け出してきたのだ。

「君ほどの身体を持つ者が、随分と参っているようじゃないか」

促されるままにルカが執務机の前に進み出ると、ドルバレコは小首をかしげた。下からこちらを覗き込む黄金こがね色の瞳には、実験動物を観察するかのような爛々らんらんとした光が宿っている。
つい無言のまま目を逸らしてしまうが、ドルバレコが意に介する様子はない。それどころか彼は何かひらめいたような顔をすると、ぱんっと出し抜けに手を打ち鳴らした。

「そうだ、これから弔慰金ちょういきんが入るだろう。それを使ってパーッと気を晴らすといい。ちょうど良いことに今、帝都では流行りの歌劇があってね。君も一度、劇場へ足を運んではどうかな。私も見たんだが、あれは大変すばらしい。戦の男神と市井しせいの娘が悲恋を遂げる話でね、特に男神の造形が秀逸だ。手足が煤色の異形の神で」
「観劇には興味ありません」
「だろうね。その手のものには嗜みがなさそうだ」
                                                                                                           
弁舌べんぜつさわやかなドルバレコを遮って本題に入ろうとしたが、食えない態度に口が閉じる。

(そう思うなら勧めるな)
「馴染みがなさそうだからこそ勧めたんだ。新しい趣味を見つければ、少しは気晴らしになるかと思ってね」

無神経なくせしてこちらの機微には妙に聡いのがドルバレコという男であった。ご丁寧に反論まで添えてくれるその口を、今すぐ縫い付けてしまいたい。

「……左様ですか」

仏頂面になったルカがごく短く応えると、ドルバレコは実に愉快そうに喉奥だけで、くっくと笑った。

(性悪)

暴言が頭をかすめたが、流石に飲み込む。相手は腐っても上役だ。

「先日お渡ししたペンダントの件でお話があるということで、参りました」

これ以上、会話の主導権を握られる前にルカは本題を切り出した。
少し前からドルバレコにはルカ以外の者にも貴石から記憶を読み取ることができるのか、検証するためにペンダントを預けてあった。今日の呼び出しではその進捗を聞くことになっている。
検証にあたっての被験者はドルバレコが任意で選出する手筈をとったが、マーレ村の事件のことは伏せ、適当な事情を取り繕って協力を仰いでいるらしい。
というのも彼は立場上、研究に協力者を募ることもあるため今回のような実験もいつものことと流されるが、ルカの動向は教官たち、特にフェデルタから注視されている。このタイミングでマーレ村について調べるとあっては、いらぬ憶測を招いて邪魔が入るかもしれないと考え、マーレ村ならびにルカの存在は完全に伏せたのだという。
実験内容も口外しないよう書面で同意を取り付けるという、念の入れようだ。

(他者を一顧いっこだにしない奔放さもあれば、慎重に事を進める堅実さもある。……どうにも読めない人だな)

もやもやとするルカの前で、不意にばさりと乾いた音が立つ。見ればドルバレコが机上に紙束を一つ置いたところだった。

「君から共有された情報に基づいて、昨日までに計10名にこの貴石と共寝ともねをさせた。さ、これが被験者たちの見た夢を記載したものだ」

ルカが紙束を手にとると、ドルバレコはようやく本題の口火を切った。

「結論から言うと、君が想定していた結果は得られなかった」

聞くやいなやルカは返すべき応答をすることもなく、几帳面に綴られた文面へ食い入るように視線を走らせた。
人名と日付の傍に添えられる数行の記述。そこにはルカと同じようにペンダントの貴石に触れながら就寝した際、被験者がどのような夢を見たのかが記載されている。
『薔薇の迷宮で化け物に追いかけられる夢を見た』
『城下町のリストランテで友人と食事をする夢だった』
『何もない空間で亡くなった祖母と話した。飼い犬のことを気にかけていた』
夢を見たかどうかすら覚えていない者もいたとある。二枚目、三枚目と頁をめくっても自身の想定にかすりもしないことばかりだ。

(そんなはずは……!)

何度も紙面を行ったり来たりしながら愕然とするルカに、追い打ちをかけるのはドルバレコの平坦な声だ。

「事前に君からもらっていた報告書と同じ光景を見た者はいない。それどころか、君のご家族や出身地に関する夢を見た者もいない。どうも君の当初の見立てとは違うようだ」

確かに自身の記憶と照合できそうな情報は、どこにも書かれていなかった。
どれもこれもがペンダントが保管されていた場所とはほど遠い地域、あるいは架空の空間での出来事が記されており、それぞれの内容もバラバラでまるきり共通項が見いだせそうにない。
まして、ルカのようにマーレ村の光景を見た者は一人としていなかった。
ありもしない幻覚、とフェデルタから投げられた言葉が鎌首かまくびをもたげる。

(結局、俺が見たのはでたらめだったと?家族や故郷を夢に見たのも、俺が見たいと望んだから?精神的な疲労からくるものだと……?)

頭のどこか遠くにあった「ああ、やっぱりな」という諦観と、全てを偶然として片づけたくない気持ちがせめぎあう。
足元が崩れ始めるような感覚を打ち消したくて、ルカはき込みながら声を絞り出した。

「――しかし、私は家族に関する夢を繰り返し見ています。ペンダントを握りこんだ晩は決まって」
「フェデルタから『待て』を習わなかったのか?話は最後まで聞いてもらおう」

被さってきた言葉は平素通り淡々としていたが、惜しみなくまぶされた嘲りにルカはこめかみをひきつらせた。
ゆとりのないこちらとは対照的に、ドルバレコは取り澄ました態度で足を組み、貼り付けたような笑みをたたえている。その様はまるで、躾のなっていない子供が大人の説いた道理を飲み下すのを待っているかのようにも見えた。
途端、むっつりと口をつぐんだルカを嫌味ったらしく、たっぷり間をおいて眺めてからドルバレコは話を再開する。

「私は『ペンダントの貴石には記憶を貯蔵する性質がある』という君の見立ては否定していない。その貯蔵した記憶を『誰しもが見ることができるのでは?』という箇所を否定している。――そこで私なりに仮説を立ててみた」
「仮説?何を……」

思いがけず出てきた単語にルカが戸惑いをにじませるも、無視され話は続く。

「記憶を再生するには適切な器が必要ではないかと考えた」

感情の読めない一対の黄金色に見据えられ、思わず顎を引いた。

「話が、見えませんが……」

理解が追いつかない。頭を占めるのは疑問符ばかりだ。
しかしそれも織り込み済みといった風情で、ドルバレコは椅子の肘掛けに頬杖をついた。

「つまりは君だ、ルカ・ベルソルツ。君の一族としての血が、器として機能しているのではと考えた」

言いながらドルバレコはいくつかの書面を机上に並べ始める。見覚えのあるそれは、ルカが渡していた報告書だ。

「ペンダントと共寝した際、君にだけ一定の法則が見られた。とすれば、君に特異性があると推測するのが妥当だろう」

ピアノの鍵盤を弾くようにしてドルバレコの指先がいくつかの箇所を軽やかに叩く。彼が示したところには、細やかな筆致で付記がなされていた。
ルカが説明を求める視線を投げかけると、胡乱うろんなイクス研究者は三日月を描く口元に、内緒話をするかのように指を立て添えた。

「では、順を追って説明させてもらおう」

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