襤褸まとう忠狼
Work by もっさん
武芸の心得がない輩共を打ち破るのは、実にたやすい作業だった。
手数自慢は堅牢な身体で黙らせ、腕力自慢はそれを上回る膂力で沈める。
刃は胴に迫る前に腕で受け止め膝でへし折り、打ち出された拳はいなして余勢をみぞおちに返してやればいい。ひたすらその繰り返しだった。
刃物も火器もきかないと分かると対戦相手は青くなり、観客は物珍しさに沸き立った。
(どいつもこいつも喧しい。人を痛めつけるところを見て、喝采するなんてどうかしている)
いや、おかしいのはこんなところにいる自分とて同じか、と重い息を吐き出しながらルカは入場口に退いた。
(ともあれ、これでまた旅を続けることができる。賞金をもらってさっさとずらかろう……)
胸元を探ってペンダントと懐中時計が無事なことを確認し、埃っぽい通路を戻る。
闘技場からの照明が届かなくなるほど進んだ頃、通路の曲がり角から明かりが近づいてきたため、ルカは足を止めた。
どうやら出迎えらしい。
「優勝おめでとうございます。十七番――いえ、ルカ・ベルソルツ」
姿を現したのはあの粗暴な男ではなく、ほっそりとした壮年の男だった。
男の持つ手燭が照らすのは、形の良い襟付きのシャツと烏色の背広。ならず者の巣窟にはあまりに似つかわしくない、品の良い出で立ちだった。
紳士然とした柔和な微笑みを浮かべ、男は半身を翻すと前方へ手の平をゆらりと動かした。
「賞金をお渡します。お部屋に移動して頂いても?」
「分かった」
男の背に続き下水したたる通路をつきあたりまで歩き、開けられた扉をくぐる。
「こちらです」
更に続く通路を誘導に従って進んでいく。そうして何度も扉を通りすぎ、階段を上り、上階へと誘われていくと風景は徐々に移り変わっていった。
(……様子がおかしい)
くぐるにつれ扉は重く幅広になり、むきだしの石造りだった床は今や華やかな臙脂色の廊下敷きに様変わりしている。
傍らに目を向ければ、地下にも関わらず随所に青々とした観葉植物の鉢植えが置かれおり、孔雀色の壁紙が貼られた壁面にはところどころ間接照明と共に絵画が飾られていた。
そのうえ時折、先導する男と同じ烏色の衣服を着た者が通路の端に控え、次々と道を譲っていく。
どこか居心地のわるさを覚え、ルカは警戒心を募らせた。
(勝ち上がった途端にここまで待遇が変わるものか?)
多額の賞金を受け取る権利を得たとはいえ、こちらが無頼漢という扱い自体は変わらないはずだ。
賞金の受け渡しだって、あのまま下層で行われるのが自然だろう。
だというのに、男が導いているのはまるで貴族の社交場のような空間だ。襤褸をまとった者を招き入れるには、あまりにも場違いすぎる。
違和感に満ちた頭で周到に辺りを見渡しながら、ルカは前を行く背中に問うた。
「どこまで行くつもりだ?賞金の受け渡しぐらい、さっさとしてもらいたい」
「無体なことはありませんので、そう肩に力を入れる必要はありませんよ」
不信感を露わにするルカに対し、男は振り返りもせずに答える。
質問の意図をつかんでいるにも関わらず、はぐらかすような調子にルカはますます訝しげに背中を注視した。
何が目的なのか、まるで見通すことができない状況に心中で舌打ちする。
ここは遵法精神など皆無の地下世界。不測の事態はいくらでも考えられるのだ。
(今からでも逃亡を試みるべきか?)
しかし、逃げ出すには奥に誘い込まれすぎている上、外への経路も不明。そんな中で無暗に動くのは下策極まりない。
下層よりも更に厳重に警備が固められているこの上層で、強行突破を試みるなど勝算があるとは到底思えない。
(どうする……。今この状況で何ができる)
そうこう思考をぐらつかせていると、やがて立ち番のいる部屋の前で男が立ち止まった。
男の手が届かない距離を保ったままルカも足を止めると、ひらりと踵が返される。
「こちらです。さ、中へ」
自分の案内はここまでだ、と彼は睥睨するルカをものともせず、飄々とすぐ背後へ退いた。後ろから立ちふさがるそれは、後退することを許さない構えにも見える。
無言のまま進もうとしないルカに男は柔らかな微笑で、しかし念を押すように「どうぞ」と手の平を見せてきた。
互いに動かないまま廊下にはしばし沈黙が下りる。が、先に根負けしたのはルカの方だった。
(……ここはもう相手の縄張りの奥深く。分がわるいのなら、押し問答をするだけ無駄だ)
苦々しい心地から嘆息すると、ルカは両開きの扉の前へ慎重に近づいた。
扉の左右を固める警備はこちらがひと睨みしても視線を交わそうとすらせず、前だけを向き微動だにしない。
しかし、するどく意識が注がれていることを肌で感じ、ルカは顔をしかめた。
(中にいるのは、それなりの立場の人物か)
それがどんな人物なのかは皆目、見当もつかないが面倒事が待っているのは確かだろう。
金細工の施された扉の片側だけに手をかけ、ルカは注意深く隙間から中を覗き見た。部屋は薄暗く、廊下の明かりが足元から伸びていく。
光を頼りによく見てみれば、入ってすぐの所に茜色の垂れ幕が天井から床に至るまでの長さで吊るされているのに気がついた。
おそらく廊下からの視界を遮るために設けられたものだろう。
(いやに厳重だな)
いったい誰が待ち受け、何をされるというのか。
全身の神経を集中させながらルカは部屋の中へ一歩、足を踏み入れ後ろ手に扉を閉めた。
そのまま垂れ幕の向こう側を窺っていると、扉が完全に閉まり切ったのを見計らってか静寂が破られる。
「入ってこい」
かけられた声は若い男のものだった。
綽々とした雰囲気をまとうそれがどことなく気に障り、ルカの胸中は毛が逆立つようにざわついた。
しかし同時に、おいそれと口を挟むのをはばかるような重々しい存在感を覚え、無意識に口を引き結ぶ。
(飲まれるな)
短く息をつき、ルカはこわばった指先をほぐしつつ自身を鼓舞した。
声の聞こえた方へ気配を探り、布と布の間をかき分けるようにして進んでいく。両腕にのしかかる多重の幕を無理やり切り開くと、ほどなくして目の前には小さく閉ざされた空間が現れた。
(賓客用の隠し部屋か……?)
「興奮冷めやまぬといったところだな。ここまでの熱狂は見たことがない」
周囲を観察するより先に再び声がかかったことで、ルカの視線は固定された。
少し離れた場所で男が一人、こちらに背をむけるように体をひねらせ長椅子に座っている。
彼はルカの向かって正面にある垂れ幕の隙間から下方を眺めているようだった。
(――!)
刹那に息を飲む。
下層の喧騒が遥か遠くのことのように感じられ、握りこんだ拳にはじっとりと汗がにじんだ。
続いて背中にはぞわりと緩慢な衝撃が伝い走る。
(まさか……)
長椅子前の卓に置かれた燭台の、頼りない明かりだけでは男の全容はつかめない。
しかし闇色の衣服の上を滑る長髪は、蝋燭の橙色の明かりを跳ね返す銀色の艶をたたえている。
ありとあらゆる場所を駆けずり回っても、ついぞ見つけられなかった稀有な髪色がそこにある現実に、早鐘が胸を激しく打ちつけた。
「実に見事な戦いだった。ルカ・ベルソルツ」
高みの見物をやめた男は振り返りがてら卓上に腕を伸ばし、持っていた一枚の紙を燭台にかざした。
炎の先に触れた端から紙がじわじわと浸食されるように燃えていく。薄闇の中でにわかに放たれた光は、男の面相をぼんやりと照らした。
顔の半分を隠すように切り揃えられた髪は青銀色。露わになっている片側には氷河を思わせる青い切れ長の瞳。
人好きする雰囲気を作りながらも隙の無い微笑みを浮かべる男の顔と、記憶の中の子供が重なりルカは目を見張った。
(こいつは……)
今まで根気強く拾い上げてきた端緒が繋がっていく感覚に、時が止まったような錯覚を覚える。
降って湧いた目の前の出来事に感情が微塵も追いついてこず、ルカは身を固くしたまま立ち竦んだ。
未だ応える様子を見せないこちらに構うことなく、磊落とした様子で男は口を開く。
「まずは自己紹介といこう。私はゼアス・ナイトメア。この帝国を統べる皇帝だ」
「……は」
驚きのあまりルカの口から漏れたのは意味をなさない吐息だった。
威厳と自信に満ちた声に乗せられた名を、聞き間違いかとすら思った。
(今、何と?)
この国の頭がいつぞやに挿げ替えられていたのは知っていた。無論、帝国中に轟くその名も同様に。
しかし帝都から長らく離れていたため、それ以上の情報を聞き及んではいない。
(……いや、嘘か真かなんて考えるまでもない)
ルカはすぐに我に返った。事の真偽を判断するのに、今以上の条件はいらないはずだと思い直す。
宮廷ならいざ知らず、ここは命と金をやり取りする鉄火場。そう考えれば答えは火を見るより明らかだろう。
硬直の解けたルカは、見え透いた虚言を吐く男へ軽蔑のまなざしを投げた。
「皇帝陛下がこんな地下にいらっしゃる訳がないだろう。長生きしたいなら騙る名は選んだ方がいい」
ペテン師は煽りを受けても涼しげに、取り乱すことなく破顔する。
「ご忠告痛み入る。さて、どう手なずけたものか」
表情が露わになっているにも関わらず、感情がまるで読めない相手にルカは心中で改めて身構え、口を開いた。
「懐柔したいなら、こんなところまで呼び込んだ理由くらい話したらどうなんだ」
どうにも先ほどから先方の空気に押されている。もうそろそろ自分でも会話を動かしておかないと、場の主導権を完全に握られてしまうと思い、ルカは探りを入れることにした。
それもそうだな、と軽く頷いて男はルカの顔をまっすぐに見上げた。
「お前を私の部下にしたい。帝国軍に来る気はないか?」
ふてぶてしいことに皇帝という体を崩す気はないらしく、男は滔々と続ける。
「暴政をしいていた先代を退かせた今、地歩を盤石にすべく私が次に手をつけねばならないのは暴吏の排除だ。特に先代の子飼いが多い軍部の組織改革は急務。しかし、大鉈を振るうには手勢が足りていない状態でな」
闇色の手袋に覆われた手をこちらに差し伸べ、男は氷河の瞳を細めた。
「懐刀が欲しい」
はなはだ壮大なことを嘯かれ、ルカは一笑に付す。何やら大層な計画と野心を持っているようだが、言っていることは実に単純だ。
「つまり何事か、抗争のために俺を使いたいと?」
「今はそう捉えてもらって構わない」
嘲るこちらを意に介することもなく、男は悠揚迫らぬ態度で足を組み背もたれに沈んだ。
「交渉といこう。待遇は保証する。わるいようにはしない。金であれ地位であれ、望むものがあれば工面できる限り与えよう。お前に首輪をつけ帝城の番犬とするため、私は何を引き換えに差し出せばいい?」
求めるものは迷うことなく、滑るように自然とルカの口から出た。
「なら、その髪の下の顔を見せてほしい」
仔細は不明だが手駒にしたいというのなら、それが何であれこの際どうでもいい。
それよりも今、どうしても優先して確認しなければならないことがある。
(青銀の髪、氷河の青……)
頭の中で指折り数える容色の特徴。残っているのは一つだけだった。
完成間際のパズルの空白に、最後のピースをはめ込まなければ話を進めることなど出来やしない。
「そんなことでいいのか」
妙なことを、と呟きながらも男は卓上の燭台を淵へ寄せ、顔の半分を大きく隠す前髪をかき上げた。男を覆う薄闇が押しのけられていき、ルカの方へと顔が向けられる。
そうして露わになった色は、紫。
互い違いの色を持つ双眸をみた瞬間、陰惨な記憶で垣間見たものだと確信し、ルカの腹底からはわだかまった呼気が漏れそうになる。
しかし、気色ばむのはすんでのところで押しとどめた。
垂れ幕の上方、天井に潜んでいる気配がこちらへ研ぎ澄ました視線を注いでいることに気づいたためだ。
ルカの僅かな表情の変化に目ざとく不穏さを感じ取ったのか、秘めていた気配を意図的に出してきている。おそらく牽制だろう。
(丁重な部屋の割に一人きりなのは不自然だと思っていたが、しっかり護衛を連れてきていたか)
おいそれと手をだせる相手ではないと、今にも噛みつかれそうな気配に悟る。
ようやく仇敵が手の届くところにいるというのに、ままならない状況にルカは胸中で歯嚙みした。
(……落ち着け、仮に一人しかいない状況でも容易に手はだせないはずだ)
今にも胸倉に掴みかかりそうな自身に言い聞かせる。
ルカの手足をとどめるのは、天井からの気配だけではない。今まで繰り返し見てきた阿鼻叫喚の記憶もまた同様に四肢の動きを食い止めていた。
貴石の記憶から推測するに、この眼前の男は村全体を一晩で発狂死させる手立てを持っているはずだ。
何をどのように仕組んでそれを実現したのかは分からないが、未知である以上、無策で挑むのは無謀がすぎる。
(……おそらく俺の頑丈さも、こいつの前では意味をなさない)
だったらどうするか。結論は自分でも驚くほど迅速に導き出された。
――傍で機を待とうと。
「これで満足か?」
手櫛で髪を戻した男が問いかけるのに、ルカは努めて平然と返す。
「十分だ。仕える主人の顔くらい始めにしっかりと確認しておきたかったもので」
「主人、とな。尾を振る相手を決めたようだが、随分とあっさりしたものだ。理由を聞いても?」
片眉を上げ、小首をかしげて見せる男を、ルカは険のある目つきで見下ろした。いかにも極貧の中で心身ともに擦れ切った風情に見えるよう、はっ、とぞんざいに喉を鳴らす。
「こんな下層にまで落ちぶれてきた身の上に、それを聞くのか?寝食さえ凌げればそれでいい。こっちは帝都の地下で明日の朝日すら拝めるか分からない身なんだ。俺に選択肢なんて始めからないし、お前も端から選ばせるつもりなんてないだろう」
初対面、それも地下世界の住民の提案に対して急に乗り気になるのも不自然だろう。
そのためルカは不承不承ながら、金のため傘下に加わることにする体を装うことにした。
強者に対する礼儀などわきまえていないといわんばかりに、ならず者然としたぞんざいな調子で続ける。
「本当に可否をこちらに委ねているのなら、わざわざこんな奥地にまで囲い込むようなことはしない。金だけ持って逃げないよう、場を整えた上でお前は俺をここへ呼びこんだ。違うか?」
男は作ったような微笑を浮かべ、否定も肯定もしなかった。
「欲しいものは是が非でも手に入れる、そんな目をしている。交渉なんて形ばかりのくせして謙遜ぶるな」
ルカが不遜に畳みかけると、男はおもむろに手を顔の高さまで上げ、ぴたりと止めた。それと同時に存在感の増していた天井の気配が鳴りをひそめる。
どうやら殺気立つ護衛を制したようだった。
下げた手でそのまま膝を叩くと男は声を堪えるようにして笑い始める。
「躾には骨が折れそうだ。いや、むしろ気骨があって大変結構」
息を整え、一つ大きく深呼吸すると男は再度、ルカの顔を仰ぎ見た。相変わらず人当たりのよさそうな微笑みをたたえているものの、氷河の瞳には僅かに底冷えするような光が宿っている。
「そうだとも、お前の言う通りだ。私は欲しいと思ったものはどんなものでも手におさめてきた。たとえそれが帝位であってもな」
まるでこの世の全てを思うがままにできるとでもいうかのように、男はルカに向け自身の片手を握りつぶして見せる。
「そして今この時よりお前の命運も貰い受けるぞ、ルカ」
憎らしいほどに悠然と語りは続く。
「千古不朽の帝国史、その一端を共に綴っていこうではないか」
大言壮語を吐く声に込められた、有無を言わせぬ力の前にルカはそっと瞼を伏せた。
幼少期から何度も教えられ、己でも繰り返してきた言葉を胸中で反芻する。
――軍人が膝を折るのは国に忠義を誓う時だけ。
さやかな声で響くこの訓示に例外を加えたい。一つはあの朝を。もう一つは今宵を。
(仇を討つためになら、いくらでも跪いてやる)
再び瞼を上げる時にはもう、腹をくくっていた。
犬と思うなら、勝手にそう思っておけ。
お前が鎖を引くのは襤褸衣をまとった狼だと、いずれ寝首を嚙み切られた際に知るといい。
ルカは湧き上がる憤怒や怨嗟の情をねじ伏せると、胸元に手をかざしながらゆっくりと膝をつく。
「御意」
討った暁には手向けに髪くらい投げつけてやる、と喉奥で静かに唸りながらルカは頭を垂れた。
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