襤褸まとう忠狼

第8章 優しい思い出

Work by もっさん

何ができるということもなく、時間は過ぎ去っていった。
フェデルタ教官とは会っていない。いまだ教練きょうれんふくする許可が下りていない以上、教鞭をとる彼と顔を合わせる機会はないためだ。
もともと学生に講じる傍ら、宮廷に出仕しゅっしする機会も多い多忙な立場だと聞いている。用事がなければ、そう気軽に取り次ぎできる相手ではない。ゆえに互いに他意はない。
……仮に会ったところで何を話せばいいのか分からないが。
そうして鬱屈した日々をやりすごしていると、いつの間にか季節は移り変わり、帝都の景色は白く覆われていた。冬越しの休暇に入ったこともあり、宿舎からは徐々に学生の気配が減っていく。
年終わりを迎える直前には、一連の調査が打ち切られたと正式に知らせが入った。しかし、もはやそれを知ったところでたいした感慨は湧かなかった。
自分ではどうにもならない事が、どうにもならないままに決定されただけだ。上の方針に異を唱えるつもりは、もうない。

ほどなくしてジトレも戻ってきた。長期間、慣れない任務にあたったせいか少し痩せたようだが、快活さは健在だった。
彼が帰舎してすぐ、挨拶もそこそこにペンダントについて礼を言った。ジトレはいつもの調子で「たいした事してねぇよ~」と、へらりと破顔したが、それを言葉通りに受け取るほどルカの思考は鈍っていない。
返礼のため何か欲しいものはないかと尋ねた。幸か不幸か懐事情ふところじじょうには多少、余裕がある。肉でも酒でも好きなものを言えと、人一倍食い気のある同輩に問えば、求められたのは意外なものだった。

「んじゃ、燻製作ってくれよ!訓練出てなかったんなら体なまってんだろ~?体動かせよ、俺も手伝うからさ!道具さえあれば屋内でもできんだろ?」

食い意地を被せた彼なりの気遣いだと分かっていたが、応えることはできなかった。
しばらくは火が爆ぜる様を間近に見たくはないと、礼を尽くしたい気持ちより忌避感が勝ってしまったためだ。
申し訳ないと思いつつ、うやむやに理由をつけて断ってしまったが、ジトレは食い下がってこなかった。

「そんじゃ買い物につきあってもらうとすっか!この時期、城下じゃ派手にマーケットをやってるらしいし、そこで飲み食いするもん買うぞ!もちろん、お前持ちな!」

毎年、帰省していたのに今年は帝都で年を越すつもりらしい。

「任務から戻ったばっかなのに、まーた長距離移動すんのは無理!今年は手紙だけ送っとく」

こちらが理由を問うまでもなく、疲労をあけっぴろげにしながら言うジトレには素直に頷いておいた。
帰る場所のないルカとは違い、彼には故郷と家族がいるというのに。
つくづく良い友人を持ったと骨身にしみて思う。お陰で閑散とした時間を過ごさずに済んだ。
部屋は少し喧しくなったが、一人でいる時よりもよっぽど座りがいい。ルカはようやく人心地ついたような気がした。

――あれからもペンダントと共に記憶を掘り起こしている。
運よく見られるかもしれない暖かい記憶にすがるために。あるいはあの日の惨劇をせめて自分だけは忘れないよう、貴石を握りこんでは浅い夢に身を投じている。
うなされて荒い息と共に覚醒することも多い。家族へ届かず宙を掻いた手を緩慢に降ろし、そのまま湿った目元を覆った回数はもう数えきれないほどだ。
もともと眠りの浅い同輩は、とっくにこちらの様子に気づいているだろうに、毎回律儀に寝たふりを決め込んでくれている。
いつも通りの空気の中で、再び立ち上がるのを待っているのだろう。……何も返せない自分が情けない。
しかし、憮然としたまま立ち止まっている訳にもいかなかった。やりきれない感情は常に行き先を求めている。一人残された身の上で、時間にまで取り残されているのは耐えられない。
少しずつ次の選択肢が輪郭を持ち始める感覚があった。
ルカの心持ちが変わりつつあることを、何とはなしにジトレは察しているようだったが、胸の内を暴くようなことはしてこなかった。
こちらがさりげなく身の周りをまとめ始めたことには触れずに、やれ、これを飲もう、あれを食いにいこうとじゃれてくるだけだ。
とはいえ多少、彼にも思うところはあったのかもしれない。
急にフェデルタから夕食の誘いがきたのは、おそらく、なんだかんだと世話焼き性分なジトレが呼びかけでもしたのだろう。




マホガニーの卓についたルカは身をすぼませ、所在なく俯いていた。彷徨う視線の先では丁寧に手入れされた木象嵌もくぞうがんの天板がつややかに照っている。
……世代交代を象徴するゆずりはと幾何学模様を組み合わせた意匠。アルヴェリターレの職人に特注したものだと、この場にいない持ち主から聞いたのはどれほど前だっただろうか。
慣れない状況に脳がいまひとつ追い付いておらず、思考が明後日の方向へと向かいつつあるのを自覚する。

(妙なことになってしまった……)

フェデルタ教官と物別れで終わったことがずっと胸につっかえていた。しかし今の居たたまれなさは、そこから来るものではない。
遡ること十分ほど前。
フェデルタの私室を訪ねてすぐ、むんずと両肩を掴まれたルカは、有無を言わさず椅子に着席させられた。出し抜けの奇行に戸惑う暇もなく、入れ替わりに部屋の主は出て行ってしまい、今に至る。

(部屋で夕食を、と聞いて来たはいいが……)

テーブルの上に食事の用意がある訳でもなく、招いた側もおらず。ぽつんと一人になった空間でどうしたものかと、何の気なしにルカは部屋を見回すことにした。
思えば執務室はともかく、フェデルタ自身の私室にはあまり入ったことがない。不躾にならない程度にそっと視線を流していれば、洒脱しゃだつな教官らしい瀟洒しょうしゃなアンティークの品々が並んでいる。

(あれは……)

品良くまとめられた調度品の並びに、不意に注意が引かれるものがあり、思わず首を伸ばした。
壁際のチェストの上に二つだけ、寄り添うように置かれたものがある。座ったまま、よくよく見てみれば、落ち着いた色合いをした小箱のカルトナージュと、卓上イーゼルに乗せられた精緻せいちな装丁の本だった。

(あぁ、やっぱり。……懐かしいな。母さんが材料を吟味しながら作ったやつ。それと、父さんがあちこち駆けまわって調達した小説だったか)

小箱にあしらわれた生成きなりのレースは母の自作で、箱全体に貼り付けた布地の深いセピア色との取り合わせを考慮したものだ。
父が贈った小説は確か、初版をわざわざ取り寄せたものだったはずだ。寡兵かへいでありながら乾坤一擲けんこんいってきの奇策をもって大軍を退ける、勇猛な主人公が見どころの英雄譚。昔に父とフェデルタが酒を酌み交わしながら作品解釈に花を咲かせていたのをよく覚えている。

(父さんと母さんが贈ったものだよな。それも、もう十何年も前の……)

ほのかな哀愁と胸が熱くなる感触に浸っていると、扉で隔てた廊下から物音が近づいてくるのにルカは気がついた。しかし同時に、ゴトゴトと何やら歯車のようなものが回る、鈍く重い音がして首をかしげる。

(教官が戻ってきたのか?だとしても、この音はいったい……)

ほどなくして、がちゃりと扉の開く音が立ち「待たせたな」と聞きなれた声がした。

きょうか、――え……?」

椅子から立ち上がりつつ出入り口へ振り向いたルカは、呆けた声で硬直する。
部屋の主たるフェデルタが戻ってきたのは予想通りだ。しかしどういう訳か、彼は腕まくりをして食事運搬用のトロリーを押していた。
あっけにとられるルカの目の前で、マホガニーの卓へそれが横づけされる。
トロリーには銀蓋を被せた器や酒瓶が乗せられている。もしかしなくても、これは……

(食事を運んできた?教官が?)

見たことのない光景に疑問符が頭を占めた。おそらく表情にもありありと出ているだろうが、そんなことを気にとめている余裕もない。
フェデルタは日頃、座って食事を提供される側であってけっして下男や使用人ではない。それがどうして「構わん、座れ」などと言いながらこちらを手で制し、せっせと卓にクロスを敷いているのだろうか。
――まさかこの御仁、手ずから給仕をするつもりなのか。
確かに今は学舎の厨房が閉まっているため、教官であっても食事は買うなり作るなり、自力で賄うことになる。
だとしてもフェデルタの立場を考えればいくらでも融通は利くはずだ。今日だって外から料理人でも呼んでいるのかと思っていた。

「あの、教官」
「四の五の言わずに座れ」

中腰で狼狽えているとカトラリーを並べるフェデルタに遮られる。ついでに両肩をぐっと力を込めて沈められ、中途半端な姿勢をとっていたルカは完全に腰かける形となった。
恐れ入って汗をかきつつ、きょろきょろとするこちらを見てどう思ったのか、フェデルタは少し苦笑するような気配を見せる。

「まぁ待て、後は盛り付けるだけだ」

どうやら食事が待ちきれず、そわついていると勘違いされたらしい。気恥ずかしくなりながらルカは心中だけで盛大に息を吐いた。

(……教練から離れるとすぐに子供扱いしてくるんだよな)

否定の言葉も口にできないほどの、こそばゆい気持ちをもてあます。
実際、フェデルタからしてみれば昔馴染みの子供だ。こちらが物心つかない頃から顔を合わせている間柄だと考えれば、いつまでたっても幼少期の面影は拭えないのかもしれない。

「給仕は来ない。人目は気にするな。今は師弟関係を忘れろ」
「と、仰いましても……」

気遣いは嬉しいが、はいそうですかと即座に切り替えられる性分でもない。この状況をどうしたものか、渋くなっているとルカの前には空のグラスが置かれた。

「それで、お前は何を飲む?酒は飲まないのだったか」

こちらの心の準備は待ってくれないらしい。フェデルタは飲み物の入った瓶や水差しを前に、腕を組んで吟味し始めていた。

(そういえば、この人けっこうマイペースだったな……)
「サワーチェリーの蜜漬けがあるぞ。好きだったろう。割って飲むか?」

ほら、と瓶詰を振ってこちらの注意を引くフェデルタは、まるで親が幼子をあやす時のようだった。なんとも肩の力が抜けるような様子に心身もろとも脱力する。
当の本人は無自覚にやっているのだろうが、ルカとしては十分とどめになった。
……観念して流されることにしよう。

「では、そちらを頂きます」

言葉尻と瓶の蓋が開く音は同時だった。
匙を取り出したフェデルタがグラスに、ぽてぽてと中身を移していく。並々とハーブ水が注がれ、仕上げにメレンゲとレモンピールが乗っかった。思いのほか手の込んだ飲み方での提供だ。
まだ若干の気おくれを残しつつ礼を述べると、フェデルタは軽く頷いて今度は自身の飲み物を準備し始める。
対面の空席に置かれたものに気づき、ルカは思わず声を漏らした。

「それ、まだお持ちだったんですね」
「当然だ」

何でもないことのように言うフェデルタが見下ろした先には、ゴブレットが据えられている。オールドヴィンテージのワインが注がれるそれは、士官学校への入学が無事に決まった折、鍛錬への助言をしてくれたフェデルタへルカが贈ったものだ。
頭を悩ませて選んだとはいえ、所詮は片田舎の店で買ったものであり、思い返せば大した品ではない。
まして貴族の社交場に顔を出すことも多いフェデルタからすれば、もっと上等な逸品に触れる機会も多い。審美感覚も富んでいるはずだ。
それにも関わらずゴブレットは使用感こそあるものの、曇り一つなく磨き上げられている。どうやら、しまい込むことなく愛用してくれていたようだ。
じんわりと暖かい気持ちを噛み締めていると、口元の表情筋がゆるむ。

(これではまた、食事を待ちきれない子供扱いを受けるか……)

照れ隠しがてら何気なくルカは、トロリー上にあったフルーツ水の瓶を拭った。よく冷えた表面の雫を布巾で撫でていると、少し気持ちが落ち着く気がする。
しかしトロリーはすぐに対面の席へと転がされてしまう。

「楽にしていろ」
「あ……、はい」

手の届かないところへ移動したトロリーは、合間に入ったフェデルタの後ろ姿で隠されてしまった。
ルカは行き場をなくした手を膝元にひっこめ、クロスの下で目的もなく指同士を擦った。もはや、かちゃかちゃと食器類のかすかな音を拾うことしか許されていないようだった。

(せめて手伝いぐらいさせてもらえれば……)

落ち着かない心地でいると、ふわりと食欲を刺激する香気が鼻先をくすぐる。この香ばしい匂いはトマトとニンニクだろうかなどと考え、体をかしげてフェデルタを窺う。
視線に気づいたのか、手元はそのままに彼はこちらへ料理を披露するように身を返した。

「ペスカトーレだ。辛味は抜いておいたぞ」

フライパンから皿に麺を盛り付けつつ言うフェデルタを見て、ルカはじわじわと頬に熱が集まるのを感じた。恥じ入って弱々しく応じる。

「辛いのはもう平気になりましたよ……」

確かにごく小さい頃は辛い食べ物が苦手だった。当時は母に頼んで好物のペスカトーレから辛味を取り除けてもらっていたが、まさかそんな些細なことを家族以外に把握されているとは。
しかし、それよりもルカはフェデルタのこころなしか得意げな調子が気になった。

「あの、もしかしてそちら、教官がお作りに……?」
「そうだ」

ルカは気の抜けた声をまろび出しながら天井を仰いだ。呻くこちらを意に介さず、フェデルタはフライパンに残った具材を寄せ集めつつ問うてくる。

「時に、この頃はちゃんと食事をとっているのか?」

はたとルカは姿勢を戻した。

「食堂にあまり顔を出さなくなったと聞いている」

盛り付け用の大匙おおさじ手繰たぐるフェデルタは、いつも通り落ち着き払っている。

「……ジトレにでも探らせましたか?」

質問返しをしても咎められることはなかったが、代わりに返答もなかった。

「少し食欲は落ちましたが、体を維持するための必要分は食べています」

ただでさえ不器用な自分が嘘をつこうとしても下手を打つ。ルカは努めて平静に、事実だけを報告することにした。

「睡眠はとれているのか?」

立て続けに問いながらフェデルタは、ルカの分と思しき皿に追加で麺を盛り付けた。おまけに大ぶりなエビも乗せられる。

「……そうですね、最低限は眠れているかと」

確答を避けるように言葉を選ぶと、自然に声が尻すぼみになっていった。
だます魂胆がある訳ではないが、触れられたくない箇所を迂回しているのも確かだ。特にこの人の前で何事かごまかそうとするのは気が引けて仕方ない。及び腰にもなる。
無言で大匙おおさじを片づけるフェデルタの横顔を、それとなく窺い見た。
その表情に険はないが、僅かに眉間が寄っている。フェデルタの気を煩わせることがないよう、こちらが迂遠うえんな物言いになっていることなど容易に感づかれているようだった。
思案顔をしたフェデルタは湯気の立つ皿をルカの前へ置くと、自身も卓上を整え席についた。

「軍人にとって不摂生は怠慢。せめて食べなさい」

言葉こそは固くとも、思いのほか柔らかな声音で諭されルカはしばたいた。
そこにあった意図が、教官としての指導ではなく励ましなのだと気づいたのはすぐだった。

「……はい」

頷くと同時に抱え込んでいたわだかまりが溶けていくのを感じる。

(敵わないな……。急に呼び出されて、てっきり気まずくなるかと思ったのに)

食事が始まるとお互いに口数自体は多くないものの、どちらともなく、こもごもに語らいあった。
つい先日、ジトレと連れ立ってマーケットに行ったことを話すとフェデルタは小さく口元をほころばせた。

「お前が書庫に缶詰だと知った時には気を揉んだが、上手いことガス抜きはできていたようだな」

愁眉しゅうびを開く教官に後ろめたさが掠める。
――ドルバレコとの繋がりを言うつもりはない。養生せよとの意に反したあげく、あの性悪で陰湿な研究者を頼ったことなど、知られたくはない。
だからこそルカは曖昧にではなく、真摯に偽った微笑を返した。
不格好な笑みは、心痛が尾を引いているのだと勘違いしてもらえるよう祈りつつ。自分にもう一枚、舌があれば良かったのにとルカは人知れず胸中でぼやく。
「かねてから興味のあった戦記ものを読破したいと思いまして」なとど、思ってもない事を紡ぐ舌根はぎこちない。表情筋を器用に取り繕えているか自信もない。
しかし、それ以上に己が焦燥に耐え切れず行った所業を、安堵する高潔な師に知られる事の方が遥かに苦痛だった。
良心がそこはかとない軋みを上げる瞬間がありつつも、膝を交えた閑談かんだんは心地よく進んでいった。
交わされるのは他愛ないことばかりで、そこに彼我ひがの距離を測るような時間は存在せず、時たま訪れる沈黙にも温かい空気が満ちているような気がした。

「……何かと杞憂だったか」

会話の区切りに落とされた微かな独り言を、ルカは耳聡く拾う。その声は無意識といった様子だった。
寡黙な師が珍しく垣間見せた隙。どうしてこのタイミングで現れたのか、おもんぱかれば胸奥の軋みを更にはっきりと自覚した。
そっと顔を上げれば、フェデルタがフォークを軽やかな仕草で麺に絡めている。

「その分なら冬越ふゆごしの休暇明けには、講義に出席することを許可しよう」

当たり前のようにこれから先のことを思い描く言に、胸の震えが増す。本来であれば前向きに捉えられたはずのそれは、腹の底にずしんと落ちてきて、ルカの口を閉じさせた。
どことなく不自然に途切れた空気に、フェデルタが食事の手を止め呼びかけてきた。

「どうした」

臆病風に吹かれないよう、ルカは自身を鼓舞するように膝上で拳をゆるく握りこんだ。
伝えなければならないことがある。切り出すとしたら今だろう。
――道をたがえる時が来た。

「……士官学校を退校しようと考えています」

こちらの直截ちょくせつな言葉にフェデルタは眉一つ動かさなかった。代わりに彼は上げかけていたフォークを降ろすと、落ち着いた様子で手を組み合わせた。
先ほどまで和らいでいた瞳には、にわかに凛とした光が滲みでる。

「理由を訊こう。その決然とした様子、自棄やけになった訳でもあるまいに」

責めるような口調ではない。しかし、緩んでいた場を引き締めるには十分なほどの、ならした声音だった。
切り替わった空気に怯むことなくルカは言葉を紡ぐ。

「事件の手がかりを探しに行きます。上は未解決事件として曖昧な結論を出しましたが、到底納得できるものではありません。調査が打ち切られた今、自分の足でこの件を追うしかないと考えました」
「それを果たすには、これまで通り休学では駄目なのか?喪に服し、巡礼に出るとでも言っておけば、表向きは今までと変わらず養生目的として処理できる。実際に巡拝じゅんぱいしているかまでを確認するような手続きはとっていない。お前は見えないところで好きに動けばいい。学籍を抜く必要はない」

言下げんかに示されたのは思いがけない代替案だった。
上層部の結論に異を唱え、あまつさえ「ありもしない幻覚」を追いかけようとする愚か者には、過分な言葉だ。

(あの時みたいに真っ向から否定されると思っていたのに……)

てっきり強くたしなめられるか、諭されるかと。
書類をにべもなく暖炉に投げ入れられた瞬間の、やるせない衝撃を思い出せばこそ、何と言われるか想定し打開するための言葉を練って来ていた。
しかしフェデルタの反応を見るに、脳内カンペは早々に無駄になってしまったようだ。
それどころか返ってきた想定外の温情にルカは身をこわばらせる。
対立するとばかり考えていたため、摩擦を起こさぬよう立ち回る人を跳ねのけることになるとは思っていなかったのだ。
かけられた情けを無下にする意気地は、あいにくと持ってきていない。

(それでも)

声が詰まりそうになる喉元を撫で、ルカはこらえた息をほぐした。

「軍が大がかりな調査を行ってなお、まともな成果を上げてない事件を独力で追おうというのです。その難度を考えれば要する時間は一年や二年で済むとは思えません。学則で許可された休学期間を超過すると思われます」

休学が最適解ではないと強調しつつ、ルカは丁寧に思考を巡らせる。
カンペに頼らない声には、おのずから切々とした響きが乗った。

「どこそこに行けば何某なにがしがある、と明確な見通しが立っている訳ではありません。どこへ行き、何をすればいいのか見当もついていません。無鉄砲なのは承知の上です。しかし、それでもペンダントから見る記憶を辿っていけば、真相の端くらいには到達できるかもしれないと希望を、願望を、捨てきれないんです」

一息に言い切ってなおもルカは言い募った。

「ペンダントの記憶に客観性がないと断じられてしまうのは、もっともです。信じる方がどうかしている。そのことにもう反論はしません。……代わりに証明するだけです。私の見たものが事実を記憶した回想であったと。たとえどれだけ時間がかかろうとも追求します。生涯をかけてでも、あの日に何が起こったのかを知るために奔走し続けます」

フェデルタの反応を待たず、それに、と続けて声を落とす。
否、自然と低まった。

「このまま家族の死を有耶無耶にして、眠らせておくことは出来ません」

さざめく鼓動を落ち着けるよう大きく息を吸う。酸素をふんだんに取り入れた割には、波立つ胸中はおさまらない。
それでも、少しでも伝わるものがあればと、前へ差し出すための想いを波瀾から掬っていく。
乱れる感情を探っていく中、緩やかに腹底から流れ出てきたのは、いささかの疲労感と郷愁が入り混じった声だった。

「忙殺されていると、良くも悪くも深く考え込まずにいられるんです。あらゆる事を、顧みることなく……」

独白に近い形で出てしまった本音には、哀悼と自己憐憫じこれんびん、そして師への甘えがまとわっていた。
思わず、握った拳がきつくなる。誠実にやりとりをする時ほど相手と正対せいたいすべきなのに、感情が瓦解して俯いてしまいそうになる。
精神の脆さを噛み締めた瞬間、まなざしを横ざまにずらしたのは無意識だった。移した視線の先には、夫婦のように寄り添いあう二つの贈り物がある。
体の奥にささやかな痛みを感じ、ルカは自身を律するように念じた。

(……なすべきことを)

なすだけ、なのだと。
かつて授かった教えを支えにし、ルカはフェデルタへと再度、向き直った。黙したままの彼は口を真一文字に引き結び、微塵も心情を汲み取れない。
しかし、明けきらぬ空を宿す紫紺しこんの双眸は、墓穴で膝をついたあの朝を思い起こさせる。
だからだろうか。続いて滑り出た本心がいやに湿っぽい響きを伴ってしまった。

「顧みないその中に、忘れてはいけないことも多くあるような気がして」

ぽつりとこぼすと、無表情なフェデルタの肩が僅かに揺れた。
つられるように立った、ちゃりっとした微かな音の方へ誘われるように視線を向ける。音の出処はフェデルタの耳朶じだにあるピアスのようだった。
思わず見たそれに、しばし気が取られる。
金継きんつぎのような枠に色ガラスを嵌め込んだピアスは、ルカ達兄弟が幼い頃に浜辺で拾ったシーグラスをあしらっている。子供が暇にかせて集めたものだというのに、フェデルタが後日わざわざ大事にあつらえてくれたものだ。
「フェデルタおじちゃんに」と、はにかみながら弟と二人で差し出したあの日。
朧げな古い記憶を遡る。身を屈めて受け取ってくれたフェデルタは、どんな表情をしていただろうかと、不意に思い出したくなった。
降りてきた静寂の中、眼前を窺い見る。

(――そうだ……こんな顔を、していた)

相対する存在を唯一のものなのだと、再認識するようなまなざし。こちらに向けられる時、いつもその瞳は、幾ばくか切なげに細められる。
懐に入れた者に情愛と慈愛をかたむける刹那の表情だ。
感情を悟られないよう、常に平静を装うことに長けるこの人が、ほんの少しだけ見せてくれる無防備な綻び。急所である心臓に手が届くほどまで傍立そばだつ時の、よろうことのない情の発露。享受できるのは限られた者だけなのだと、知ったのは士官学校に来てからだ。
――アルヴェリターレでは大事なものほど心臓に近いところに身に着ける。
少し前に教わった風習が柔らかな夜風のように頭をよぎった。

(……この人の傍には、優しい思い出が多すぎる)

映ろう面影が脳裏を焦がす頃、長い沈黙を破りフェデルタが口を開いた。

相分あいわかった。お前がそこまで考え選択するのなら、尊重しよう」

短いながらも重い響きを伴った肯定だった。しかし間髪入れずに続いたのは、一転して少し当惑するような声だった。

「だから、そんな顔をするな」

言われ、ルカは片頬にぴたりと手の平をあてる。それで何が分かるという訳でもないが、とっさのことだった。

(しけた顔をしていたか……?)

決まりが悪くなりルカが完全に俯いてしまうと、フェデルタは苦笑いをこぼし大儀そうに席を立った。
何事かと横目だけで追えば、彼は部屋の奥にある書き物机から封筒のようなものを引き出し、すぐに戻ってくる。
これを、と言葉少なに渡されたのは開封済みの封書だった。

「この機会に渡しておくべきと判断した」

海原のような紺碧色に染めた紙と、その表面に箔押しされた鐘の文様には見覚えがある。

「本家からのものですか?」

紺碧はベルソルツ家の血統たる髪色を象徴し、鐘は本家がまだ路傍で商いをしていた時代、開店の知らせとして打ち鳴らしていたものに由来する。
しるしとして用いることが出来るのは限られた人物だけだ。

「お前にいとまを出してすぐ、貴石について照会したいと当主へ取り次ぎを頼んでいた。お前の身上も添え、軍からではなく私個人の名義でな。返ってきたのがそれだ」
「そんなことを、してくださっていたなんて……」

驚きつつも礼を述べるルカに対し、フェデルタは中身を見るよう促してくる。苦笑いを引っ込め、渋みだけを残した師の様子が気になるものの、ルカは素直に従うことにした。
中を取り出し書面を開くと、ほのかに清涼感のある香りが立つ。広げた紺碧の染め紙には、白波色しらなみいろのインクで文字が綴られていた。
この独特の様式は目にしたことがある。時折、父親の元に届いていたものと同じだ。

(確かに叔父さんからだ。ただ……)

手紙は礼を逸しない程度の、最低限の枚数しか入っていない。整った筆跡で綴られた時候の挨拶で始まり、下に続くのは少ない行数。
じっくり読み込まなくとも、送り主の言わんとするところは明らかだ。

「……これといったことは書いてありませんね」

おかしくもないのに掠れた笑いが出る。
フェデルタもアルヴェリターレの名家の出だ。社交界においてベルソルツ家との関わりも深い出自となる。そのため文自体は相応に丁寧にしたためられていたが、中身はいたって簡素なものだった。
端的に「詮索するな」と。いつかに胡乱うろんな研究者から聞いたのと同じ返答だった。

(事件について追うなら本家はあてにできないか……)

ルカが力なく片頬にだけ笑みを浮かべていると、前方の席に戻ったフェデルタがどこか抑えた声音で呟く。

「支援の申し出はおろか、お前の様子についてあちらから尋ねることもないとは。アルバスタの方から家を出たとはいえ、ベルソルツ卿が甥であるお前をこうも顧みないとは思わなかった」

フェデルタが酒杯をひとおもいに呷る。眉間を深く寄せているのは酒精のせいではないだろう。

「顔も合わせたことのない甥です。情けをかけろと言う方が無理な話でしょう」

腑に落ちない様子のフェデルタを宥めようと、脱力したまま声をかける。
実際、ルカにとって叔父の反応は自然なものだった。元々、本家への取り次ぎを頼んだのは自分の方からではあったが、あれは逃げ場のない心境から弾け出てしまったものだ。
当時はまだ隠匿体質のことを知らずにいたものの、それを抜きにしても色好い対応は正直期待していなかった。

「頼る先はないと心得ています」

言い切った声に悲壮感は乗らなかった。実際のところ気負いはない。
それよりも、と話を切り替えルカは手紙を置く。思いがけず渡されたものに流れが逸れてしまったが、最後にどうしても伝えなければならない事があった。
視線を卓上へ這わせたまま居住まいを正す。

「……これまでお引き回し頂いたにも関わらず、中途半端に投げ出すことになり申し訳ありません」

ルカは謝罪と共に胸元へ手を当て、頭を下げた。
軍人になるという志を自ら折ることは、これまでにあったフェデルタの助力を無下にすることでもある。
しがない漁師の息子である自分が士官学校に入学するなど、彼の手ほどきがなければ成しえなかった事だ。
強靭な身体を更に練り上げる鍛錬法も、鋼のような固い武人としての心構えも、片田舎にいては到底教わることのできないもの。それを昔馴染みの息子だからと、贅沢にも機会を授かったのだ。
ふいにするのは、恩知らずが過ぎる。

(……なにより、家族の埋葬。フェデルタ教官の推挙と手回しがなければ出来なかった。遺体だって現場の繁雑さにごまかされて、あの検死官にかすめ取られていたかもしれない)

土地勘のある者を差配した、というのは建前ではないだろう。
フェデルタといえど適正がない者をこじつけて任務に同行させるなど、横車を押せば上層部への心証が悪い。ある程度の見込みがあって推してくれたはずだ。
しかし、現地での自由行動の件がある。
あの時の上役がルカの嘆願に拍子抜けするくらい、あっさりと許可を出したのは、おそらく気鬱な話に同情心を寄せたからではない。
「だいたいのことはフェデルタから聞いている」と、予定された行程をこなすかのように言われたのだ。
ルカのあずかり知らぬところで師の名前が利いていたのは明らかだった。

(……手心があった。それと同時に、面倒をかけたのも確かだ)

背中を曲げれば、公私ともども師弟関係におさまらない世話をかけてしまった事実が、首根に重くのしかかってくる。
不甲斐なさと苦々しさを飲み込み、代わりに息を吸い込んだ。

「本来であれば割かずともいいお手間を増やし、ご心配もおかけしてしまい、何とお詫び申し上げればいいのか……」

どうすれば謝意が伝わるか、誠意を尽くせるか、二の句を探しながらルカは頭をそろりと上げる。
背を丸めたまま前を見れば、どうしてかフェデルタがどこか痛みを堪えるように瞳を眇めていた。
その表情は、気心の知れた者にしか判別がつかない微小なものではなく、装うことすらしない、する余裕もないようなものだった。
一瞬にしてルカの思考は止まる。
強毅な師が初めて見せる様相に、つかの間、狼狽から息を詰まらせた。

「……このところ、お前は謝ってばかりだ」

いつもであれば起伏なく紡がれる声が、ほんの少し揺らいでいる。平らかな湖面をよそ風が撫でるぐらいの些細なものではあったが、泰然を常とする彼の動揺を悟らせるには十分だった。
戸惑うルカが口をつぐむと、ややあって手元に視線を落としていたフェデルタが口重くちおもに語り始めた。

「苦痛のさなかにあるお前が、何故そうも頭を下げてばかりいるのか。私はお前のつむじを見るよりも、お前がよく食べ、よく学び、友とれている姿を眺めている方がよほど気分が良い」

言葉尻になるにつれフェデルタの顔は、まるで増していく苦痛に耐えるかのようにしかめられた。
彼は憮然とした嘆息をこぼすと、感傷を露わにした声で続ける。

「アルバスタからお前を託されている。『士官学校にいる間、どうか面倒を見てほしい。父親としてあいつをいっぱしの男には育てたから、お前はつわものにしてやってくれ』とな」

卓上で固く組まれたフェデルタの両指が、惑っているかのように少しばかり擦り合わされる。
その短い無言が何事か躊躇う逡巡ではなく、熱を乗せるためのものだったと察するのは、続く声の力強さからだった。

「――帰る場所がないなどと思うな。無くしたものは多かれど、いまだ手に在るものを忘れるなどという心得違い、教えた覚えはない」

ひたと向けられた双眸の力強さにルカは瞠目する。同時に、とっさに発しかけたごとを口中でかき消した。
求められている応え、なにより自分が伝えたい想いはそれじゃないのだと、頭の奥で嘆きが上がる。
自分が今、向けられたのは朝日のようにさんとした温情なのだと。自覚すれば、首根にのしかかる罪悪感を胸中に抱え直し、下がりかけの頭を上向けることが出来た。
視線を合わせたまま、互いの沈黙が重なる。
ルカの中には万感の想いが行き交ったが、出てきたのは率直なひと言だった。

「……ありがとうございます」

言葉を飾り立てるには、どうしても時間を要する。これ以上、待たせるぐらいなら差し出された手を取りたい衝動がまさった。

(手から離れたものを数えてばかりいて、手元に残ったものを……触れていたはずなのに、忘れていたんだ。本当に、馬鹿なことを……)

自己嫌悪に陥るが、だからといって背を丸めることはもうしない。
『ひとつしかなかったと見るか。ひとつはあると見るか』
いつかに浸りかけた哲学の帰結する先が、今なら分かる。
黎明に明け残る星を焼かないよう、ささやかに注がれる陽光のような情。それは焼け跡同然に荒れ果てた心根に、じわりと広がり答えを照らしてくれた。
惑いが晴れてしまえば、下向くことなど出来はしない。

「頂いた心得、二度と忘れません。――決して」

喜色を浮かべたはずなのに、溢れそうになる感情が邪魔をして眉が下がる。空笑そらわらいだと勘違いされるだろうかと、歯がゆい気持ちになる。
こみ上げるものをせき止めたくて喉奥に力を込めると、もう言葉も出ない。
フェデルタはしばらくの間、とっくりとこちらを見定めるようにしていたが、やがてほどけるように息をついた。

「ゆめゆめ、忘れるな」

念押しする声は言いつけにも関わらず、懇願するようにも聞こえた。




(すっかりご馳走になってしまった)

ルカは外套を着こんだ腹を片手でさすった。間抜けな所作だが人気のない回廊では構うまい。
外で食べてくると言っていたジトレも、そろそろ部屋に戻っている頃だろうかと、ルカは片手に持つ紙袋を顔の前まで掲げた。
かさりと音が鳴る中身は、食後に残った焼き菓子だ。持っていけ、とフェデルタが包んでくれたため、お言葉に甘えて頂戴してきた。
紙袋超しにも微かに香ってくる甘い匂いに、自然と先ほどまでの時間が思い起こされる。




「てっきり『家族はお前がそんなことをするのを望んでいない。前を向け』と仰るのかと」

すっかり柔らかくなった空気の中、焼き菓子をつまみながらルカは苦笑混じりに呟いた。
どこかで聞いたような文句は、父やフェデルタが好むヒロイックな物語によくでてくる台詞だ。
大切な人を亡くし打ちひしがれた主人公が、仲間から発破をかけられ立ち直る時に度々でてくる常套句でもある。
退校の意思を伝える際、フェデルタからも似たようなことを言われるのではと予想していたのだが、別方向からの慰留があったのは想定外だった。
しかし当のフェデルタの様子を見るに、特段意外なことを言ったつもりはないらしい。

「死者の代弁をするつもりはない。私が語る言葉は、口にした瞬間すでに私自身のもの。死者をかたった生者が何を語ろうとも、それは遺された者に対するおためごかしにすぎない」

対面の席で湯気の立つコーヒーを一口飲み、フェデルタはきっぱりと否定した。

「……『前を向け』か。どの方向に進むかは己で決めろ。お前が向いた方が前になる」

導かずとも道理をたがえることはないだろう、と。結ばれた言葉には信頼が乗せられていた。
そのまっすぐに向けられる声は淀みなく、場を辞した今も耳朶に響いている。

(不運に遭った者に訳知り顔で道理を説くような、無神経な真似はしない。教官がそういう人だって知っていたはずなのに……)

フェデルタ本人が全く意に介していなかったから良かったものの、今更ながら随分と見当違いなことを口にしてしまった。

(厳しい人だが、それはあくまで教官として、あるいは軍人として事にあたる時だけ。一度、教鞭や剣をしまえば、違うんだよな)

そんなこと分かっていたはずなのに、と心地よく弛緩した気持ちになりながらルカは紙袋を抱え直す。

(堅焼きのアマレッティにミックスナッツのビスコッティ、それと干し木苺入りのフリテッレ。俺とジトレの好物ばかりだ)

食後、ハンドルトレイに並ぶ焼き菓子を見た際、フェデルタと二人で食べるには随分と山盛りだと思ったが、帰り際に言われたことを思い返せば納得がいく。残りはジトレと分けて食べろ、と。
ねんごろな気遣いに思わず顔がほころぶ。それと同時に、ジトレが焼き菓子を上機嫌でほおばる顔も浮かんだ。

(……あいつにも気苦労をかけた。教官からの頂きものではあるが、これで少しは今までの返礼になればいいな)

つらつら思案しながら歩いていれば、ひっそりかんとした空間に響く靴音が、心なしか来た時よりも澄んで聞こえるような気がする。
もう次に進むべき方向を定めているからだろうか。迷う事のない歩みは、足音すら真っすぐだ。

(発つとしたら休暇が明ける前だな)

周りの学生から事情を深掘りされた際、不器用な自分が上手いことごまかせるか怪しい。帰郷している皆が帰舎する前に出ていった方がいいだろう。

(最後に挨拶ぐらいしたかったが、仕方ない。……また、会える)

表向きはフェデルタに勧められた通り、家族を悼むための巡礼に出ると周知してもらうことになっている。
講義や訓練に参加せず、部屋と書庫に籠りっぱなしだった自分をそれとなく見ていた周囲からしても不自然のない理由だろう。
退校の手続き自体はそう時間をとらないそうだし、部屋の私物もかなり片付いている。あとは荷造りを始めるだけだ。そのあとは――

(まずは村へ戻る)

これから先、どのように動いていくべきか。熟考したが、当てがないなりに可能性が少しでもありそうなところを辿っていくことにした。
事件の始まりである現場をもう一度、自分自身でよく見て回りたい。うまいことあの青銀せいぎんの子供の足取りがつかめれば儲けものだが、しかし軍の調査が入っていながら跡形もない痕跡を辿ることは難しいだろう。
では、村を一通り見回った後にはどこへ足を向けるべきか。

(あの子供はどこへ行ったのか……)

ルカは改めて思考を巡らせる。

(帰るべき家――家族がいるのならそこに戻るはずだ。でも、あの身なりからして大人の庇護下にあるようにはとても見えない。だからといって寒村ばかりのあの地域で、子供が独居できるはずがない。もし、帰るべき家がないのなら……)

マーレ村周辺は貧しい集落がほとんどだ。そのため身寄りのない者が村に迷い込めば、保護した後、しかるべき場所へ引き渡すことが多い。
困窮の末に行き倒れた者、複雑な家庭から着の身着のまま逃げてきた者など、そういった事情を抱えた人物が保護される場面は、実際にルカ自身も村で見たことがある。
その中で、ルカの両親のように流れ着いた場所にそのまま定住する者は少ない。大抵は生活基盤を築く余力もない、満身創痍の者が多いため、幾ばくかの寝食を与えた後に移送するのが通例だ。

(うちの村の近辺に救貧院きゅうひんいんなんかない。運よく周辺の村で子供が一人、保護されたとなれば最寄りの神殿に連れていかれるはず)

ユノン教の神殿はある程度規模の大きい街には必ずある。また、純粋な宗教施設と共に様々な施設が併設されていることも多い。教育機関、福祉施設、博物館や図書館などいずれも公共性の高いものばかりだ。
実際、マーレ村周辺の地域で最寄りにあたる神殿では、貧者救済のための施設が運営されている。

(あそこは確か、孤児院の運営を行っていたはず)

あの子供に行き当たる可能性が高いとしたら、そこだろう。
それに神殿が建てられている街は人口も多く、人の流れも活発だ。珍しい容色を持つ者を尋ねるなら都合がいい。
さしあたっての方針が決まってしまえば、後は考えながら動いていくしかない。
おそらく、途方もなく地道で長い道のりになるだろう。しかし不思議と心中につかえるような感覚はない。
ルカはゆるく息をつきながら胸元に手を滑らせた。先刻、フェデルタへ謝意を伝える際にも自然と触れていた箇所だが、そこにあるのはペンダントトップである。
退校の意志を持ってからというもの、奥まった場所にしまい込むのをやめ、新しくチェーンを通し肌身離さず身に着けていた。
外套の固い生地越しに撫でる形を、ルカは何度も慎重に確かめ、気が済むとしばし足を止めて瞼を下ろした。
眠って意識を手放していなければ、貴石が記憶を流し込むことはない。だから今、思い描く像は自力によるものだ。

(父さん、母さん、レガロ)

瞼裏に結んだ家族の輪郭が白い寝顔になりかけたのを、無理やり温かな記憶に塗り替えてからルカは再び瞳を開いた。

(全てを明らかにしてみせる。――絶対に)

寒天かんてん煌々こうこうと青い光をまとう月を、しかと見上げた。

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